4/4
福田のデジカメ写真ギャラリー海外編トップ 
      ***  大草原の国 モンゴル6日間の旅 4  ***
Page1
 
ホスタイ国立公園

   Page2

カラコルム・ブルド

   Page3

ウランバートル

  Page4

ウランバートル・
テレルジ国立公園
 *** ウランバートル・テレルジ国立公園 ***

   1,このページの写真は、2018年7月17〜18日に撮影しました。
   2,画像をクリックすると、拡大画像がごらんになれます。拡大画像からこのページに戻る場合は、
     ブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください。Ctrl キーを押しながら画像をクリックすると別画面で開きます。
   3,画像を保存する場合は、「マウスの右クリック」 → 「名前を付けて画像を保存」 で、保存してください。
   4,もし画像が正常に表示しない場合は、ブラウザの「更新」ボタンを何回かクリックしてみてください。
   * モニターの解像度がXGA(1024×768)の場合は、全画面でご覧ください。
      出来ればSXGA(1280×960)以上の解像度でご覧ください。

     第5日目(7/17)は朝はウランバートル市内観光、ガンダン寺やザイサン丘を見物。そのあとテレルジ国立公園へ、
     最大の亀岩やアリアバル寺院のあるテレルジ国立公園までのハイキング。午後はウランバートルに戻りデパートで
     ショッピング、ベストウェスタン・プレミアゥーシン・ホテルに連泊。

  ガンダン寺
 
ガンダン寺境内の山門

 
持金剛堂(左)・ガンダン寺本堂
(正面金色の屋根)・活仏殿(右)
 
櫓の上から呼びかけるお坊さん


  ガンダン・テクチェンリン僧院、通称ガンダン寺はチベット・モンゴル仏教の総本山として仰がれ、10の僧院・寺院からなる学問寺
  であり、現在約900人の修行僧がいる。境内の観音堂には高さ26.5メートルの開眼観音像が祀られている。この像は1996年に
  再建されたもので、初代の像は1938年にソ連の共産政権により破壊され、持ち去られたという。・・・出典:あるホームページ

 
手前の台は五体投地の台
 
持金剛堂

マニ車 

 
お坊さん
 
釈迦堂の仏像

 

 
ガンダン・テクチェンリン僧院の観音堂 (高さ26.5メートルの開眼観音像が祀られている)
 
観音堂の上に見える像

 
願いが叶うという柱、みんなが
願い事を吹き込んでいうます。
 


 
観音堂前の香炉


右の黄色い建物はモンゴル仏教大学 

ザイサン丘
 
バスから見かけた金の観音様
 
 
丘の上まで階段を登ります。


 ザイサン丘から見たウランバートル市内パノラマ写真    16mm(35mm換算25.6mm)×4枚

  1939年にモンゴル東の国境付近で起きた紛争、「ハルハ川戦争」(日本では「ノモンハン事件」)のモンゴル人民義勇軍の友軍と
  なったソ連兵たちを記念して1971年に建てられた記念碑が目印です。丘の上にある展望台には、ソ連兵士を讃える記念碑があり、
  戦勝記念日などにタイマツを灯す点火台があります。 展望台をぐるりと取り囲むモザイク壁画は、「トルガ」というモンゴル伝統の
  かまどをモチーフにしています。・・・出典:あるホームページ


 一応アリバイ写真

 モザイク壁画の写真2枚

 

 テレルジ国立公園  一番大きな亀石やアリアバル寺院のある国立公園
 
高さ15mの一番大きな亀石の写真2枚、こちらは自然石です。
 
これは別の石、この国は地震がないのでしょう。

 アリアバル寺院 お寺までフラワーハイキングということでしたが、雨のため花どころではありませんでした。
 
入口 入場料を取られます。

 雨が降ってきました。 あの階段を登ります。

つり橋があります。 

 

  
めずらしく撮影料を取らなかったので、たくさん写真を撮りました。

     

 
だんだん雨がひどくなっできました。
 
岩に描かれた仏画の写真2枚



 
雷鳴と一緒にアラレまで降ってきました。

昼食をとったツーリストキャンプのレストラン 

 レストランの庭に積もったアラレ

 ウランバートルに戻るバスの車窓から撮った写真6枚
 
チベット仏教でよく見かける
塚の様なもの
 
大きな鳥がいます、観光客に
写真を撮らせているようです。

ウランバートル近郊の住宅地
 白いゲルが混じっています。

 
これは何でしょう? 巨人の像
 
これも旧ソ連がらみの記念物??

 ロシア正教の教会

 
最後に行った旧国営ノミンデパート さすがに肉類・
乳製品は豊富ですがそれ以外は輸入品が多い。
 
フロントグリルに網を張っている車があります、道端で網を売っている人もいました。
草原を走ると小石でも飛んでくるのでしょうか??

   第6日目(7/18)は朝5時30分ホテル出発で空港に向かい、7:45ウランバートル発、13:40成田着、午後4時過ぎに、無事帰宅しました。

 ウランバートル空港のボーイング737-800
モンゴルらしい、低い山と草原が見えます。

 空港を離陸して見えた市街地


 1回転したことを示す経路図


  今回の帰りの便で、ちょっと不思議な体験をしました。飛行経路を示すモニターで、北京の北あたりで機首が反対のウランバートルに
  帰る方向を向いています。あれっと思って外を見ると、機体が旋回しています。すぐに機首は東京方面に向きましたが、しばらくして
  飛行経路を見ると、明らかに1回転しています。着陸の順番待ちにしては距離がありすぎるし、忘れ物に気が付いて戻ろうとした、
  なんてことはないでしょう。ちなみに成田到着はほぼ定刻でした。 ???の体験でした。

食事の写真集 7月17日 昼食 

モンゴル料理 スープ
 

チキン料理
MIATモンゴル航空ビジネスクラスの食事 

サラダ・ハム・ソーセージ・マッシュポテト

 モンゴルではかつて、独自の文字があり、はしを使う習慣もありました。それが1950年代には旧ソ連の影響でロシア文字(キリル文字
 を使うようになりはしを使う習慣まですたれてしまいました。私が以前ベトナムに行ったとき、現地ガイドがこんな話をしました。ベトナム
 は旧フランス領でフランス人は昔、たくさん悪いことをしたが、一つだけ良いことをした、それは漢字を廃止してアルファベット表記にした
 ことだと!!日本でも終戦直後に、漢字を廃止してすべてローマ字表記にしようという議論があったと聞きます。今、我々は漢字のない
 日本語など想像もできません。でも、伝統なんてものは簡単に、しかも数十年という短期間に無くなってしまうものだと、改めて感じました。

 ソ連崩壊に伴い社会主義を脱却し、民主主義を果たして、新生モンゴル国となったが、その際に、民族意識の高揚と共に、伝統的なモンゴル
 文字を復活させようという動きが一時高まった。1991年には国家小議会の決定において、1994年からのモンゴル文字公用化が決定され、
 その準備が指示された。しかし、内モンゴル自治区の新たな文字表記との接触がほとんどなかった一般国民の間では、「モンゴル文字
 イコール「話しことばとは無関係の文語」というイメージが定着してしまっており、言語そのものと文字の関係に関する正しい理解が得ら
 れなかったことなどから、一時期は正式に計画されていたモンゴル文字への全面的な切り替えは正式に中止された。 現在、モンゴルの
 一般教育では、週1時間のモンゴル文字の時間が設置されているが、社会的にはすっかり無関心になっていることもあり、生徒達も
 自分の名前をモンゴル文字で書ける程度である。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 モンゴルではトイレもシャワーもないゲルに泊まるツアーが多いのですが、今回参加したのは、トイレ・シャワー完備のゲルに泊まる
 ツアーでした。同じツーリストキャンプの中にも、トイレだけ付いているゲルや、トイレもシャワーも付いていないゲルもあるようです。
 ゲルに泊まった2日とも、夕方ゲルに入った後、大雨が降りました。あの雨の中、外のトイレに行くのは大変です。

 モンゴルの6〜8月は雨期だそうです。大草原の国に雨期があるなんて思いませんでした。それもシトシト降る日本型でなく、
 ザーと降ってやんでしまう熱帯型、もっとも雨が全く降らなければ大草原ではなく、大砂漠になってしまうでしょう。それでも
 最初のうちは、ゲルに帰ってから大雨になってラッキーでしたが、最後のハイキング中に雷雨に見舞われびしょ濡れになりました。
 でもびしょ濡れが最後でよかった、とりあえず幸運な旅行だったと言ってよいでしょう。

  福田のデジカメ写真ギャラリー海外編トップ  大草原の国 モンゴル6日間の旅トップ 前ページ 次ページ このページのトップに戻る