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 ***  ヨーロッパ紀行 バルカン半島5カ国周遊10日間の旅 1  ***
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アルバニア:ティラナ
モンテネグロ:コトル
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クロアチア:ドゥブロヴニク
ボスニア・ヘルツェゴビナ:モスタル
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クロアチア:トロギール
・スプリット・シベニク・ザダール
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クロアチア:プリトヴィツェ国立公園
スロベニア:ブレッド湖・ポストイナ鍾乳洞
 *** アルバニア:ティラナ モンテネグロ:コトル ***

     バルカン半島5カ国の周遊ツアーに行ってきました。このあたりは古くは、以前に読んだ塩野七生著「ローマ人の物語」や、
     たまたま今読んでいる、同じく塩野七生著「海の都の物語」の舞台であり、近代ではヨーロッパの火薬庫と呼ばれ、ちょうど
     100年前の1914年6月28日に「サラエボ事件」がおきて、第一次世界大戦の発端になり、その後も1990年代には
     ユーゴスラビア紛争の悲劇が起きたところでした。クロアチアのドゥブロヴニクやプリトヴィツェ国立公園のような有名な
     観光地めぐりのほか、このような歴史の舞台への興味もあっての旅でした。

   1,このページの写真は、2014年6月9〜10日に撮影しました。
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  第1日目(6/9)は成田発11:55、イスタンブール経由でアルバニアの首都・ティラナ着19:45、そのままホテルに直行、ティラナ泊。

   アルバニアの首都・ティラナ

ホテルの窓から見たティラナの夜景

ホテルの窓から見たティラナの朝  16mm(35mm換算25.6mm)×2枚パノラマ写真
   ティラナのホテルはマンションの1室のような、2寝室+2バストイレ+リビングの、やたら広い部屋でした。

 第2日目(6/10)は朝からアルバニアの首都・ティラナを観光、その後バス移動で国境を越えてモンテネグロのコトルへ。
 コトル観光後さらに国境を越えて、クロアチアのドゥブロヴニクへ移動、ドゥブロヴニク泊。

ノーベル平和賞受賞者、マザー・テレサ
マザー・テレサはアルバニア人です。

ティラナ大学 左端に
小さくマザー・テレサ像が見えます。

マザー・テレサ広場



大統領官邸(旧共産党本部)
アルバニア国旗が見えます。

エンヴェル ホッジャのピラミッド  ホッジャが自分の廟にするために建てた。今は廃墟だとか。

ティラナの街角、街路樹が
毛糸に包まれています。

  エンヴェル・ホッジャ(1908年10月16日 - 1985年4月11日)は、アルバニアの政治家、共産主義者。アルバニア労働党第一書記、
  1944年から1954年まで同国の首相を務めた。ホッジャ政権下のアルバニアはスターリン主義への固執からヨーロッパに於いて孤立し、
  半封建的国家として産業化を推し進めた。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

下院議事堂

スカンデルベク広場の近くの建物

国立歴史博物館


スカンデルベク広場    16mm(35mm換算25.6mm)×2枚 パノラマ写真

スカンデルベク

 スカンデルベク(1405年 - 1468年1月17日)は、中世アルバニアの君主であり、オスマン帝国に抵抗した民族的英雄である。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディ
 塩野七生著「海の都の物語」には、スカンデルベクは少数のアルバニア人を率いて山岳部でゲリラ戦を戦い、オスマントルコの大軍を何度も打ち破ったと書いてあります。

19世紀に建てられた時計塔と
エザム・ベイ・モスク
 
エザム・ベイ・モスク内部の写真2枚



バスの車窓から見た古城の写真2枚



国境近くにはこんなトーチカが残っています。

 モンテネグロ コトル 世界遺産:コトルの自然と 文化歴史地域

コトルの城壁   16mm(35mm換算25.6mm)×2枚 パノラマ写真

コトル市街の入り口

 コトルはモンテネグロの都市および基礎自治体でコトル湾の静かな場所に位置している。コトル市街の人口は13,510人で基礎自治体内の行政的な中心でもある。
 基礎自治体全体の人口は2003年現在22,947人である。古い地中海域のコトル港の周囲にある印象的な城壁はヴェネツィア共和国によって築城されたもので、
 ヴェネツィアの強い影響が市内の建物には残されている。コトル湾はアドリア海ではもっとも陸側にしゅう曲した部分の一つで、時にヨーロッパ最南部のフィヨルドと
 呼ばれることもあるが実際はリアス式海岸の一部である。近年コトルはコトル湾と旧市街の美しい風景から多くの人々をひき付けていることから、観光客の数が
 安定的に増加している。また、コトルは「コトルの自然と文化歴史地域」として1979年にユネスコの世界遺産に登録されている。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 コトルは塩野七生氏が「海の都の物語」に書いている、ヴェネツィア共和国による海の高速道路の一部である。

 
ピアッツァ広場(武器広場)の写真2枚

ピアッツァ広場の時計塔


山の上に見える聖ジョバンニ要塞と
中腹左に見える、聖母教会

プリマ宮殿


博物館のようです。



古い井戸


聖ルカ教会


Bratstva i jedinstva広場(読み方がわかりません)聖ルカ教会の左奥に聖ニコラス教会の塔が見えます。


カトリックの聖トリファン大聖堂

クロアチア正教の聖ニコラス教会

コトルの街角

お土産屋さん


聖トリファン大聖堂の内部
 
聖ニコラス教会の内部の写真2枚


コトルの街角
 
聖ジョバンニ要塞の城壁を登ります。


聖ジョバンニ要塞の城壁の途中から見たコトルの町、リアス式海岸がわかります。  20mm(35mm換算32mm)×3枚パノラマ写真


一応アリバイ写真


町から見えた聖母教会の
十字架が光っています。

コトルを出発、
ドゥブロヴニクに向かいます。

 
リアス式海岸なので陸路を行くと大変、フェリーで対岸に渡ります。

アドリア海の夕日

 アドリア海:アドリア海の海港として知られる都市には、ヴェネツィアバーリなどがある。イタリア半島側に位置するルネサンス期の
 ヴェネツィア共和国は、東方との貿易で利益を上げ、「アドリア海の女王」の異名で知られ、現在もその特異な町並みを見ることがで
 きる(世界遺産)。 バルカン半島側では、クロアチア沿岸部が複雑な地形をもち、風光明媚な景観を構成している。保養地、景勝地が
 点在し、中でもドゥブロヴニクは「アドリア海の真珠」と呼ばれる(世界遺産)・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 塩野七生著「海の都の物語」に、アドリア海東岸はベネチア共和国が築いた、海の高速道路として度々出てくる。
 アドリア海西岸(イタリア側)に比べて東岸は良港が多いのでイタリア人は、神様は不公平だと嘆いたという。

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