*** コーカサス3国・6つの世界遺産を尋ねる8日間の旅 3 *** |
アルメニアは紀元301年に世界で初めてキリスト教を国教とした。イスラエル・ベツレヘムにある聖誕教会には
ローマカトリックと東方正教会のほか、小さなアルメニア正教の祭壇がありました。キリスト教の世界の中で
アルメニアは特別な地位にあるようです。でも今、東隣のアゼルバイジャンとは
ナゴルノ・カラバフ紛争をかかえ
西隣のトルコとは昔の
アルメニア人虐殺問題があり、北のジョージアとはあまり交流がないようです。
第一次世界大戦時のアルメニア人虐殺において死亡したアルメニア人の人数は、もっとも少なく見積もるトルコ側
の推計で20万人、もっとも多く見積もるアルメニア側の算出で200万人とされる。欧米や日本の研究者の幾人かは
60万人から80万人という犠牲者数の推定が妥当ではないかという見解を述べている。日本軍の行ったとされる
南京虐殺が中国側の主張する最大値で30万人と言われることから問題の大きさがわかります。
1,このページの写真は、2016年5月27〜29日に撮影しました。
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アルメニア 首都はエレバン

アルメニアとの国境に到着、
人間は荷物を持って右の建物に入ります。 |

アルメニア側の両替所、
ブランデーの広告が見えます。 |

バスの車窓から撮った1枚
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昔、会社の同僚がバクーに出張した時、アルメニアのブランデーを買ってきて、私も一口飲みましたが、フランス製のコニャックと変わらぬ味がしました。でも
上の写真の広告に「Cognac」とありますが、Cognacはフランスのコニャック周辺で産出されるブランデーでありアルメニア産はアルメニャックとすべきでしょう。
ハフパット修道院 世界遺産:ハフパット修道院とサナイン修道院
ハフパット修道院とは、アルメニア・ロリ地方の村、ハフパットにある修道院である。1996年に、UNESCOの世界遺産に登録された。アルメニアは、世界最古の
キリスト教を国教とした国家として知られる。5世紀から7世紀にかけて、アルメニア使徒教会は教義の解釈や建築面において独自の発展を遂げたが、アラブ人た。
による征服により、その発展は中断を余儀なくされアルメニアの再独立は、9世紀を待たねばならない。ハフパット修道院が建設されたのは、再独立が達成された
以降である970年代である。 ・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

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16mm(35mm換算25.6mm)×2枚パノラマ写真 |
ハフパットの聖十字架:11世紀から13世紀にかけて刻まれた十字架。アルメニアで多く見出すことが出来る
聖十字架の中でもハフパットの聖十字架がもっとも有名である。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

アルメニアでは高校の卒業時に修道院などにお参りする習慣があるようです。 この日も風船や造花で飾った車で、高校生たちが陽気にお参りしていました。 |
 カメラを向けたらポーズをとってくれた。 |

羊の群れがいます。
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アラガット山 標高4090m
今いる場所標高2100m |

一応アリバイ写真
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 アラガット山を望む大草原パノラマ写真 16mm(35mm換算25.6mm)×3枚 |
 どこから見ても十字架に見えるという。 |
 アルメニア文字の公園 |
 ミツバチの巣箱 |
第6日目(5/28)は朝、アララト山とホルヴィラップ修道院を見物、さらにエチミアジンの世界遺産:エチミアジン大聖堂を見学、
昼食後ガルニ神殿と世界遺産:ゲガルド修道院を見学、エレバン市内に戻ってカスケードを見物、エレバンに連泊。
アララト山 標高5165m

バスの車窓からアララト山と
小アララト山が見えてきました。 |

果物などを売っている。
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ホルヴィラップ修道院にお参りの高校生たち、
まるで暴走族、でもこの日は許されているようです。 |
アララト山は、トルコ共和国の東端にある標高5,137mの山であり成層火山である。主峰の東南にあたる標高3,896mの頂上を小アララト山と呼んでおり、それに対して
標高5,137mの主峰は公式には大アララト山という。アルメニアとの国境から32km、イランとの国境から16kmである。旧約聖書にでてくるノアの箱舟が大洪水の後、
流れ着いたとされる山と目されて、12世紀以降にヨーロッパ人により命名された。アララト山は今はトルコ領だが、古くからアルメニア人の多く居住してきた地域
(大アルメニア)の中心にあたり、アルメニア民族のシンボルとされる。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア
アララト山はノアの箱舟が流れ着いた山とされる。アルメニア人にとって日本人の富士山のようなものと言われるが、今はトルコ領である。

小アララト山標高3914m↑ アララト山↑
これはパノラマではなくて広角写真の上下をトリミング |
ホルヴィラップ修道院

アララト山を背景にしたホルヴィラップ修道院 |
 ホルヴィラップ修道院の外観写真2枚 |

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ホルヴィラップ修道院:エレバンの南、車で40分ほどの丘に建つ修道院で、トルコ国境からはたった8kmしか離れていません。ホルヴィラップという名前は、
アルメニア語で「深い穴」を意味しています。4世紀頃、アルメニアにキリスト教を広めた聖グリゴールが幽閉されていた場所であったことに由来しています。当時
アルメニアでキリスト教を布教していた聖グリゴールは、異教徒だったトゥルダット3世に捕らえられ、ここの地下牢に13年間も幽閉されました。しかし、その後
重い病気に罹ったトゥルダット3世は、妹の忠告に従い、聖グリゴールを解放。彼によって病を癒され、キリスト教徒に改宗したという伝説があります。
聖グリゴールが幽閉されていたと言われる地下牢も残っており、垂直の梯子で降りていくことができます。・・・出典:あるホームページ

ホルヴィラップ修道院内部の写真3枚
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聖グリゴールが幽閉されていた
と言われる地下牢 |

向こうはトルコ領、アルメニア側の
国境の監視所が見えます。 |

廻らせた柵は国境地帯の境界線
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コウノトリの巣にヒナがいます。このあたり
のコウノトリは嘴の赤い朱嘴鴻、日本のとは違います。 |
エチミアジン大聖堂 世界遺産:
エチミアジンの大聖堂と教会群ならびにズヴァルトノツの考古遺跡
エチミアジン大聖堂は世界最古の教会で、街の歴史の中心地でもある。啓蒙者グレゴリオスによって301年から303年にかけてアーチ型
のものが建てられた。その間に、アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教に取り入れた。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア
 エチミアジン大聖堂博物館の写真7枚 |

十字架にかけられたキリストが死んだのを
確認するためにわき腹をついたという聖槍。 |

この十字架の交点の裏側に、キリストの
十字架の木材が入っているという。 |
聖槍は、磔刑に処せられた十字架上のイエス・キリストの死を確認するため、わき腹を刺したとされる槍である。槍を刺した
ローマ兵の名をとって、
ロンギヌスの槍とも呼ばれる。聖遺物崇敬が高まった時代にいくつかの「聖槍」が発見され、現在も
複数が保存されている。アルメニアのエチミアジン大聖堂に保存されている聖槍は、現在の
ゲガルド修道院がある場所で
発見されたと言われている。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア
 エチミアジン大聖堂広場パノラマ写真 16mm(35mm換算25.6mm)×3枚 |
ガルニ神殿 現在アルメニアに残る唯一のヘレニズム建築
ガルニ神殿:エレバンから約28キロの町、ガルニにある遺跡です。現在アルメニアに残る唯一のヘレニズム建築で、神殿を含む建築物は三角形の高台に建って
います。この場所に要塞が築かれたのは紀元前3世紀のこと。紀元1世紀にはアルメニア王ミトリダテスの離宮が置かれました。この神殿が建てられた頃の
アルメニアは、ギリシャやローマの大きな精神文化の影響を受けてた時代でした。神殿は「太陽の神殿」と呼ばれ、異教の神である太陽神「ミトラ(ミトラス)」
に捧げられたものです。・・・出典:あるホームページ
ゲガルド修道院 世界遺産:ギガルド修道院と アザト川上流域
ギガルド修道院は、301年に歴史上初めてキリスト教を国教と定めたアルメニアでも古い歴史を持つ修道院で、初期キリスト教時代にはすでに開設されていたと
伝えられている。アイリヴァンク、すなわち洞窟修道院とも呼ばれ、院域のいくつかは岩盤を穿って造られた洞窟となっている。修道院の名称である「ギガルド」
は槍を意味する言葉で、キリストの脇腹を突いた聖槍の一部がここで発見されたことにちなむ。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア
カスケード ソヴィエト・アルメニア樹立50周年を記念してエレヴァンにカスケードと塔ができました。・・・出典:
あるホームページ

カスケードパノラマ写真 16mm(35mm換算25.6mm)×3枚 |
カスケード (英語 cascade) の原義は、連なった小さな滝である。建築分野では人工的に作ったものを指す。さらにその派生として連続したもの、数珠つなぎ
になったものを意味する言葉として各分野で用いられる。日本語でのカスケードはこの派生用法が主である。 ・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア
共和国広場
 ↑マリオットホテル ↑歴史博物館 ↑郵便局 16mm(35mm換算25.6mm)×8枚 360°パノラマ写真 |
第7日目(5/29)は帰国日、午前中セバン湖とセバン修道院を見物、その後国境に向かい、昼食後国境を通過、
ジョージアのトビリシの空港へ、トビリシ発21:05、途中バクーで1時間の機内待機、第8日目(5/30)カタールの
ドーハへ、ドーハ発2:40、成田着5/30 18:40、夜9時過ぎには帰宅できました。
セバン湖とセバン修道院

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 一応アリバイ写真 |

ハチュカル(十字架が刻まれた石) |
セヴァン湖はアルメニア・ゲガルクニク地方にある湖。アルメニア最大の湖で、大規模な湖としては世界で最も高地に
あるものの一つ(海抜約1900m)。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア
 セバン修道院内部の写真2枚 |
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 月の石 これを加工してお土産を作る。 |
 セバン湖とセバン修道院パノラマ写真 16mm(35mm換算25.6mm)×5枚 |

昼食のレストランでナンを焼いて
います。熱々のナンはうまい。 |

ジョージアに行く道路端、
トウモロコシを売っています。 |

ジョージアに行く道路のトンネル、
大型車のすれ違いができません。 |
今回驚いたことの一つ、ジョージアの首都トビリシとアルメニアの首都エレバンを結ぶ道路、路面に大きな穴が開いていて、バスがしばしば
スピードを落として、大きくハンドルを切らなければ通れなかったこと、特に結構長いトンネルで、大型車同士のすれ違いができなくて、我々
のバスと反対側から入った大型トラックが、入り口までバックで戻らなければいけなかった。これはまさに両国の経済的な結びつきの無さを
象徴していると思いました。北隣のジョージアとつながりが少なくて、東のアゼルバイジャンと西のトルコと仲の悪いアルメニア、後は南の
イランしかありません。
イランの核開発問題でアメリカなどがイランに経済制裁をしたとき、アルメニアはイランに友好的でした。
イスラエルとイスラム国アゼルバイジャンが友好的で、イスラム国イランとキリスト教国アルメニアが友好的という、奇妙な関係にあるよう
です。
緊張の続くイランとアゼルバイジャンの関係
この辺りは紀元前から
ローマ帝国と
ペルシャの勢力圏の境目だったり、
モンゴルに占領されたり、
オスマントルコと
ロシア帝国に取ったり
取られたりと、大きな勢力に翻弄されてきた歴史のある地域です。旧
ソ連の崩壊でやっと独立しても、互いにもめ事をかかえてなかなか
うまくいかないようです。石油の採れるアゼルバイジャンはともかく、ほかの2国は農業ぐらいしかありません。多難な前途を思わせる今回
の旅でした。最後にもう一つ気づいたこと、ロシア系あるいはヨーロッパ系と思われる観光客はたくさん会いましたが、最近どこに行っても
いる中国人・韓国人の観光客が、今回は一度も会いませんでした。まだまだ観光開発の余地があるということでしょう。
今回のツアーにご一緒した三浦さんのホームページにリンクします。三浦さんは海外旅行100ヵ国以上の超ベテラン、楽しいホームページです。 こちらをクリック→ |
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