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 ***  アンコール遺跡とハロン湾周遊7日間の旅 3  ***
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ホーチミン
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アンコール・トム
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アンコール・ワット
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アンコール遺跡群
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ハロン湾・ハノイ

 *** アンコール・ワット ***

   1,このページの写真は、2012年12月15〜16日に撮影しました。              
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  第3日目(12/15)午後は、アンコール・ワット観光をした後、宮廷舞踊アプサラの舞を見ながら夕食、シェムリアップに連泊。

  アンコール・ワット

堀端から見たアンコール・ワット全景   広角写真の上下をトリミング


西参道の入口にある狛犬と7つの頭を持つコブラ
日本にも八岐大蛇九頭竜伝説などがありますが。

周壁の向こうに中央祠堂の塔が見えます。


西参道からアンコール・ワット内部へ



中央西塔門

中央西塔門内の仏像

周壁の内部通路

壁に残る弾痕

 戦場カメラマン一ノ瀬泰造がカンボジア入国以後、共産主義勢力クメール・ルージュの支配下に有ったアンコールワット遺跡への単独での
 一番乗りを目指しており、1973年11月、「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだら“サヨウナラ”!」と友人
 宛に手紙を残し、単身アンコールワットへ潜入し、消息を絶つ。 9年後の1982年、一ノ瀬が住んでいたシェムリアップから14km離れた、
 アンコールワット北東部に位置するプラダック村にて遺体が発見され、両親によってその死亡が確認された。その後、1973年11月22日
 もしくは23日にクメール・ルージュに捕らえられ、処刑されていたことが判明した。・・・ 出典:フリー百科事典ウィキペディア


中央西塔門の上の写真と反対側

周壁から中央祠堂を見る

参道と中央祠堂


周壁に残る彫刻の写真4枚

透けたスカートの表現が巧みです。





ゆえあってモノクロームにしてみました。

中央祠堂と蓮池

つまんでみました。


経蔵

第1回廊

第1回廊から蓮池方面、気球が上がっています。


第1回廊の写真2枚





森本右近太夫の落書きのある柱 ほかにも日本人らしい落書きがあります。

十字回廊の仏像


 森本右近太夫は寛永9年(1632年)、カンボジア(当時は南天竺と呼ばれた)に、父の菩提を弔い、年老いた母の後生を祈念するために
 渡り、インドの祇園精舎と思われていたアンコール・ワットの回廊の柱に墨書(落書き)を残した(十字回廊の右側。現在は上から墨で
 塗り潰されており、読めるような写真を撮ることは大変難しい)。・・・ 出典:フリー百科事典ウィキペディア


第1回廊の壁面

沐浴の池

十字回廊から第2回廊を見る。


第2回廊

第1回廊

左:第2回廊  右:第3回廊


第3回廊の写真2枚

左と同じ箇所から縦位置写真

第2回廊と中央祠堂


第3回廊登り口 第3回廊は大行列だったので登りませんでした。
   
第1回廊の壁面2枚 下:地獄 中:現世 上:極楽


第1回廊の天井



東側に出てきました。

東側から見た逆光の中央祠堂

第1回廊


プレ・ループ遺跡から夕日を見ます。

アンコールの夕日 17:36am

翌日バスの車窓から見たプレ・ループ遺跡

   第4日目(12/16)は、早朝、アンコール・ワットの夜明けを見物、ホテルに戻って朝食後、
   周辺のアンコール遺跡群を見物して夜の便でハノイに移動。ハノイ泊。


朝焼けのアンコール・ワット 6:23am 中央祠堂の真上から朝日が出るのは春分の日と
秋分の日の年2回だけです。少し残念!   広角写真の上下をトリミング


夜明け前の中央祠堂と蓮池  6:07am

朝日が出てきました。 6:30am

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