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福田のデジカメ写真ギャラリー海外編トップ 
***  古いアメリカ車と革命の遺跡 キューバ8日間の旅 4  ***
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ハバナ

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シエンフエゴス・
トリニダー・サンタクララ
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バラデロ

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コヒマル・再びハバナ

 *** コヒマル・再びハバナ ***

   1,このページの写真は、2017年1月31日に撮影しました。
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        第6日目(1/31)はバス移動でヘミングウェイゆかりのコヒマル経由でハバナへ移動、
        最後にハバナ観光をして再びH10ハバナ・パノラマホテルに宿泊。

 
ラム酒ハバナクラブの工場がありました。
 
盛大に煙をあげる火力発電所

 新しいアメ車が全くないというわけではない
ようです。GMCピックアップトラック
アメリカでよく見かけるやつです。

 チェルノブイリ事故が起きた時、キューバではキューバ史上初の原発を建設中で70%まで完成していたが、事故を知ったカストロ議長が
 急遽建設中止を決定、 以来一度も稼動 することなく原発の建物だけが現在も残っているそうです。 ・・・出典:あるホームページ

  コヒマル
 
ヘミングウェイの通った
レストラン「ラ・テラサ
 
ラ・テラサの店内

 
ヘミングウェイの愛艇の船長
グレゴリオ・ フエンテス

   米国の作家ヘミングウェイが愛し、釣りをし、小説を書いたのが、ハバナ郊外の小さな漁村コヒマルだ。ここに住む
   漁師をモデルにした『老人と海』でノーベル文学賞に輝いて、今年で60年。・・・出典:あるホームページ

 
ヘミングウェイとフィデル・カストロ
 
グレゴリオ・ フエンテス船長

グレゴリオさんの名前がついたカクテル
ドン・グレゴリオ 

  コヒマル要塞
 

 

 
一応アリバイ写真

 
↑コヒマル要塞 と レストラン「ラ・テラサ」近くの桟橋      16mm(35mm換算25.6mm)×4枚パノラマ写真

 ヘミングウェイ博物館(ヘミングウェイ邸 フィンカ・ビヒア)

 ヘミングウェイ邸
 
屋内の写真2枚

 

アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(1899年7月21日 - 1961年7月2日)は、アメリカの小説家・詩人。彼の生み出した独特でシンプルな文体は、冒険的な生活や一般的なイメージとともに、20世紀の文学界と人々のライフスタイルに多大な影響を与えた。ヘミングウェイは、ほとんどの作品 を1920年代中期から1950年代中期に書き上げて、1954年にノーベル文学賞を受賞するに至った。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア


 ヘミングウェイの愛艇ピラール号

 
 ここに座ってカジキなどをつっていたのでしょう。
トローリング用の椅子が備え付けられている。

小さなマンゴーの実が生っていました。
 

 
3階建ての離れ
 
左の建物の3階からのパノラマ写真  16mm(35mm換算25.6mm)×2枚


 上の写真の建物の3階
 
落書きされた竹
 
ヘミングウェイ邸のガレージ

 
ビィック・エレクトラ 1959年
 
ビュイック・スペシャル 1955年頃

何かの撮影をしていたプロのモデルさん 

 

丘の上のキリスト像
  第1ゲバラ邸宅


 

ゲバラの執務室


 ↑クルーズ船が泊まっています 16mm(35mm換算25.6mm)×5枚パノラマ写真 ↑第1ゲバラ邸宅

 
寝室 ノーファインダーで撮っている
私が写っています。

 

 
娯楽室


 
ゲバラのカメラ、マミヤ−16 そういえば
ゲバラ廟にはパナソニック
ラジオがありました。




ゲバラと共に戦ったドイツ人女性革命家
タマラ・バンク タマラ・バンク:1937年
アルゼンチン生まれ、1967年8月31日
29歳でボリビアで戦死。チェ・ゲバラが同じ
ボリビアで1967年10月9日に死んでいるので
ゲバラと一緒に戦っていたようです。 

これはちょっとふざけすぎ 
  モロ要塞

 運河をはさんでハバナ旧市街      16mm(35mm換算25.6mm)×4枚パノラマ写真

 モロ要塞は、キューバ・ハバナ湾入り口、オールド・ハバナの対岸にあります。ハバナ防衛のために築かれたフエルサ要塞
 カバーニャ要塞プンタ要塞とともに世界遺産の構成資産の一つとなっています。・・・出典:あるホームページ


 
 
フエルサ要塞とカピトリオが見えます。
 


 
一応アリバイ写真
 

 



 
 

 
シボレー ベルエア 1954年頃

 是永礼子さん・ファンさんご夫妻のお宅訪問。但しご夫妻は日本に行っていて留守でした。
 
赤い服を着た体格の良い女性は
砲丸投げの元オリンピック選手だそうです。
 
誕生日のお祝いをされてしまいました。


是永さん宅の室内の写真3枚
 

 ファンさんは革命にも参加された軍人だそうです。決してキューバ人の平均的生活水準ではない。キューバは社会主義国で極端な貧富
 の格差はなくて、治安もよいと言われますが、左上の写真のような厳重な塀を見ると、やはり日本のような国とは違うとわかります。

 


 日本人大リーガーの写真
 
再び海岸通り

 
レストラン「ボデギータ・デル・メディオ」の写真4枚
  
ここの壁は落書き自由、有名人のサインもちらほらあります。でももう書き込む余地がない。

 
キューバ名物「モヒート
  
車どめに使った大砲、こんな廃物利用なら歓迎

 
ハバナ革命広場の夜景 ゲバラ  と
 
カミーロ・シンフエゴス       
 
雪景色のトロント空港、トロントタワーが見えます。

   第7日目(2/1)は帰国日、早朝4時ホテル出発で午前7時ハバナ発、トロント経由で日付変更線を越えて
   第8日目(2/2)羽田着17:00、午後8時頃無事帰宅できました。

 キューバは社会主義国、多くの企業は国営で従業員は国家公務員、民宿や観光タクシーは自営業ですが結構高率の税金を
 取られるようです。古いアメリカ車が観光資源になると気付いた人が、自分の車をレストアして観光タクシーを始めたようです。
 2015年のアメリカとの国交正常化後に、アメリカ人観光客が急増しているようですが、アメリカ人にとって古いアメリカ車は
 おじいちゃんの車なわけで、たまらない魅力だと思います。

 今回のツアーでは6泊中3泊が、オールインクーシブのホテルで、ビュフェ(バイキング)時のアルコール類もすべて込みこみ、
 そのうえ食事の時にラム酒のカクテルがついて来たり、カリブ海の島でラム酒を飲んで昼寝をしたり、あげくに部屋にぶら下が
 っていたラム酒を飲んだら、栓が止まらなくなってぽたぽた垂れるラム酒をコーヒーカップに受けていたら、1時間ほどでいっぱ
 いになり、ハウスキーピングを呼んだのはいいですが、コーヒーカップのラム酒がもったいなくて、全部飲んでしまったりと、
 ずっと酔っていたような気がします。こんな結構なツアーはめったにないので、また行きたい気がしますが、なにせ遠いのが欠点。
 アメリカ経由で気軽に行けるようになればまた行きたいと思います。

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