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 ***  ベラルーシ・ウクライナ・モルドバ 東欧3か国9日間の旅 1  ***
 
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ベラルーシ
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ウクライナ キエフ1
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ウクライナ キエフ2
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ウクライナ オデッサ
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モルドバ
 

 *** ベラルーシ ***

   ベラルーシ・ウクライナ・モルドバの東欧3か国に行ってきました。いずれも旧ソ連構成国ですが、ソ連(ロシア)から独立した今、
   ロシアとの関係は微妙なものがあるようです。

   ベラルーシ国民の大部分を占めるベラルーシ人スラブ系民族で、古代からすでにスラヴ民族はこの地に定住し続けていたと
   いう説が有力である。9世紀のキエフ・ルーシの一部だったポロツク公国がベラルーシの始まりとされる。バルト海黒海を結ぶ
   通商路として繁栄した。その後13世紀にはモンゴルに征服されたり、14世紀にポーランド・リトアニア共和国に支配されたりし
   た後、ロシア帝国に支配下にはいり、ロシア革命で、ソ連の一部の白ロシア共和国となり、ソビエト連邦崩壊に伴い独立1990年7月
   27日に独立宣言(主権宣言)を行い、1991年8月25日に独立が承認された。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディアから抜粋

   国名の由来:ルーシの人々は13世紀から16世紀にかけてモンゴルの支配を受けた(タタールのくびき)。その際、モンゴル人が
   中国から学んだ文化である「方角を色で呼ぶ方法(五行思想)」をルーシに持ち込んだため、赤ルーシ(南部ルーシすなわち現在
   のウクライナ西部)、白ルーシ(西部ルーシすなわち現在のベラルーシ)、黒ルーシ(北部ルーシすなわち現在のモスクワ周辺)
   という名称が生まれ、そのうちの白ルーシ(ベラルーシ)が国名として残った。 ・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

   1,このページの写真は、2018年10月6〜8日に撮影しました。
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       第1日目(10/6)12:00成田発のアエロフロート機でモスクワ・シェレメチェヴォ空港経由でベラルーシの
       首都ミンスクへ、ミンスク着19:35 ハンプトン・バイ・ヒルトン・シティーセンターホテルに宿泊

 
12:00成田発のアエロフロート
 
モスクワ・シェレメチェヴォ空港の夕日
 
ミンスク着19:35 ミンスク市内の夜景

      第2日目(10/7)は朝、ミンスク市内観光をし、その後2つの世界遺産の城の観光をして、
      ブレストに向かう。ブレストのエルミタージュホテルに宿泊。

      ベラルーシの首都ミンスク ベラルーシは海のない国としては世界で一番大きな国。
 
勝利広場
 
勝利広場の38mの勝利の塔と永遠の炎
 
横断地下道にあった第2次世界大戦の絵
近くには戦没者の名簿などもあります。

  バスの車窓から見かけたモニュメントの写真4枚
 
少女と馬
 
一番上の夜景の写真と同じもの

 
ラッパからラッパ吹きが

 
ブレーメンの音楽隊
のようですが?!

  戦前の商家などを復元した、トラエツカヤ(三位一体)旧市街区
 

 
右のピンクの建物が劇場・博物館
 
扉に鍵がたくさんぶら下がっています。

 
スヴィスラチ川パノラマ写真   16mm(35mm換算25.6mm)×3枚     涙島

 
戦没者の霊を祭るスヴィスラチ川の中州、
涙島の写真3枚
 
慰霊碑

 
一応アリバイ写真

 慰霊碑:旧ソ連がアフガンに侵攻した際にベラルーシから 出兵した戦士の慰霊碑。
 アフガン侵攻では、旧ソ連軍の中で、ベラルーシ人の死傷者が一番多かったという。

 
聖霊大聖堂の写真3枚
 

 
聖霊大聖堂の内部
 
鍵を持った聖人

  聖霊大聖堂の近くの教会など
 
ミンスカヤ・ガラツカヤ・ラトゥシャ
 

 
シンデレラの馬車

  独立広場
 
独立広場と聖シモン・聖エレーナ教会
 
独立広場
 
一応アリバイ写真

 
独立広場パノラマ写真  16mm(35mm換算25.6mm)×6枚パノラマ写真  ↑聖シモン・聖エレーナ教会       

 
独立広場と聖シモン・聖エレーナ教会
 
聖シモン・聖エレーナ教会
と海獣と戦うネプチューン
 
長崎の浦上天主堂から
贈られたという長崎の鐘
 
長崎の鐘の右の柱の銘版


      長崎の鐘チェルノブイリ原発事故では、風向きの関係で、ウクライナよりベラルーシのほうが、被害が大きかった。
      長崎の鐘の右の柱の銘版には「ここに広島、長崎、福島の土を入れたカプセルが埋められている。」とあります。

 
独立広場と聖シモン・聖エレーナ教会
 
教会を建てた聖人像
 
絶滅危惧種ヨーロッパバイソンのオブジェ

         ヨーロッパバイソン:野生個体は絶滅しており、純粋種がポーランドとベラルーシの国境地帯にまたがる
         世界遺産:ビャウォヴィエジャの森に、再導入されている。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

   ミール城 世界遺産:ミール城の建造物群
 

 
新婚さんがいました。
 
一応アリバイ写真

  ミール城:15世紀末から16世紀初めにかけてミール村付近ゴシック様式の城として建設された。1568年に城はリトアニア大公国の
  大貴族であるラジヴィウ家の手に渡り、ルネサンス様式の城として完成させた。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 
ミール城パノラマ写真    16mm(35mm換算25.6mm)×2枚
 
優雅な馬車
  
 
中庭
 
王家の紋章
 
たくさんあったタペストリーの一つ

 
甲冑(プレートアーマー)
 
子供用の甲冑もあります。
 

 
これはストーブ、隣室から焚く。

  甲冑:鎧は種類にも拠るが、重量は数十キログラムにも及び、鎧だけでも20〜30kg、兜や武器を含めると35kgを超えた。金属加工
  技術の発達により軽量化した物は20kg以内に抑えられた。徒歩で使用することを前提としたものでは、鎖帷子などの付属物を含め
  ると平均して30 - 40kg程度であったとされる。ただ全身に均一に装甲されることから、訓練された騎士であれば十分な運動性を発揮
  でき、馬に跳び乗る事もできたという。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 
馬用の兜

 


 
電気のなかった時代はローソク
天井が黒くならなかったのでしょうか。
 
  ネスヴィジ城 世界遺産:ネスヴィジにあるラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体
     

   ネスヴィジ城は、ベラルーシのネスヴィジにあるラジヴィウ家の居城として建てられた城郭建築である。 ・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

中庭のパノラマ写真        16mm(35mm換算25.6mm)×5枚 

 
王家の紋章
 
2階から見た中庭
 


 

 
城内の礼拝室
 
お姫様の寝室

 
鏡の間に入って自分撮り
無限に続く反射像
 
これぞお姫様

 
お姫様の部屋のストーブ

 
装飾された大砲


 
暖炉
 
ビリヤード室 狩猟の成果
 
ネスヴィジ城全景

 
ロータリーの中心にある門 Sluckaja brama
 
どこかの町に入ったようですが、読めません。
 
ビート(サトウダイコン)を積んだトラック

 
ヨーロッパバイソン
 
ブレスト近くの夕陽
 
エルミタージュホテルのバー
ここで飲んだわけではありません。

     第3日目(10/8)は朝からブレスト駅とブレスト要塞を見物、その後、国境を越えてウクライナに入り
     「愛のトンネル」を見物後、リブネホテルに宿泊。

   ブレスト中央駅
     

   ブレスト中央駅:ポーランド国境に近い駅であり、ドイツやポーランドからベラルーシやロシアを結ぶ列車が同駅に停車する。
   ポーランド以西の線路が標準軌(1,435mm)、ベラルーシ以東の線路が広軌(1,520mm)であるため、同駅に長時間停車して
   車輪幅を調整する。ポーランドのワルシャワや、国内の首都ミンスクまで約4時間半程度。モスクワまで夜行列車が通じている。
   南下してウクライナに入る列車も走行する。このブレスト中央駅からウラジオストク駅・ハサン駅まで1万キロ以上もエレクト
   リーチカとロシア客車が活動している。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

   フリーゲイジトレインは九州新幹線西九州ルートに採用しようとして、JRが大苦心して断念したといういわくつきのもの、
   新幹線とは速度が違うとはいえ,こちらでは成功しているらしい。

 
戦争被害の写真を見せる現地ガイド

 
1番線:モスクワ方面、トンネルをくぐって
2,3,4番線はワルシャワ方面
 
鉄道公園のようなところにあった機関車


   ブレスト要塞
 
ブレスト要塞入口
 
中に入ってからのパノラマ写真  16mm(35mm換算25.6mm)×4枚

   ブレスト要塞は、ベラルーシ共和国ブレスト市のポーランド国境近くに有る19世紀に建てられた要塞である。1941年6月22日に
   ドイツ軍から攻撃を受けた。6月30日には大部分が占領された。この戦いで25人の将兵と2877人のソビエト兵が捕虜になり、
   1877人の兵士と将兵が死亡した。7月20日まで孤立地帯は抵抗した。 ・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

     

 
16mm(35mm換算25.6mm)×9枚 360°パノラマ写真

 
渇きの像  16mm(35mm換算25.6mm)×2枚パノラマ写真
 
一応アリバイ写真

     ↑↓飢えと渇きに耐えて戦った兵士にちなみ、これら2体の像は「渇きの像」と呼ばれる。

 
渇きの像
 
戦車
 
ベラルーシのイミグレを出た所の免税店

  食事の写真集1 アエロフロート・ビジネスクラスの食事
 
前菜 ビーフパストラミとメロン
 
栗のクリームスープ
 
主菜 牛ロース肉・マッシュルームのリゾット

  10月7日 昼食
 
前菜 ボルシチとサラダ
 
主菜 ポークのハンバーグ風
 
デザート アイスクリーム

  10月7日 夕食
 
前菜 サラダ
 
主菜 マチャンカ(豚肉のサワークリーム煮添え)
 
デザート レーズンパイ

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