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 ***  エジプト・古代遺跡の探訪10日間の旅 4  ***
 
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カイロ・ギザ

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ルクソール東岸

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ルクソール西岸
ナイル川クルーズ

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アスワン・アブシンベル


 *** アスワン・アブシンベル ***

   1,このページの写真は、2015年11月22〜24日に撮影しました。
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   第7日目(11/22)はアスワンでクルーズ船を下船後、お土産屋に寄った後、アブシンベルへバス移動、途中、停車は許されないので
   一路3時間、ナミブ砂漠をひたすら走ります。アブシンベル到着後昼食、その後アブシンベル神殿を見物、アブシンベル泊。

  アスワン
 
クルーズ船から見たアスワンの朝      16mm(35mm換算25.6mm)×3枚パノラマ写真

 
陽気な女子学生ですが、目しか出ていない
ニカブをかぶっている人もいます。

サッカーのアスワンスタジアム


香水瓶の工房に寄りました。


 
展示販売されていた香水瓶の写真3枚





 アスワン・ローダム オスマン帝国時代の1901年にできたアスワン・ローダム
     

 ヌビア砂漠
 
逃げ水(蜃気楼)が見えます。

これは天然ピラミッド

緑のある所には灌漑用水があります。

 
灌漑用水


上の道を300Kmほど行くとリビアとの国境に達する
この道は軍が管理しているそうです。

ヌビア人の家


 
ヌビア人の家でタジン料理の昼食をとりました。
その家の写真3枚
 
昼食をとった家の屋上の眺め

 アブシンベル神殿 世界遺産:アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群
 
ナセル湖が見えます。

これは大神殿の裏側

アブシンベル大神殿が見えてきました。

 アブ・シンベル神殿は、エジプト南部、スーダンとの国境近くにあるヌビア遺跡。オリジナルは、砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿。大神殿と
 小神殿からなる。建造主は新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。大神殿は太陽神ラーを、小神殿はハトホル女神を祭神としている(小神殿は最愛の王妃ネフェ
 ルタリのために建造されたものでもある)。 1960年代、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設計画により、水没の危機にあったが、ユネスコによって、国際的
 な救済活動が行われた。1964年から1968年の間に、正確に分割されて、約60m上方、ナイル川から210m離れた丘へ、コンクリート製のドームを基盤とする形で
 移築された。現在ではアスワン・ハイ・ダムの建設によってできた人造湖のナセル湖のほとりにたたずんでいる。この大規模な移設工事がきっかけとなり、遺跡や
 自然を保護する世界遺産が創設された。アブ・シンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡で、文化遺産として登録されている。 この神殿では、年に2回神殿の奥まで日の
 光が届き、神殿の奥の4体の像のうち、冥界神であるプタハを除いた3体を明るく照らすようになっており、観光客の目玉となっている。本来はラムセス2世の生まれた日
 (2月22日)と、王に即位した日(10月22日)にこの現象が起こるものであったが、移設によって日にちがずれてしまった。 ・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 
              ↑大神殿          小神殿↑        アブシンベル神殿はこの下から移設された。
16mm(35mm換算25.6mm)×5枚パノラマ写真
 大神殿
 
4体のラムセス2世像

左から2番目の像は移設の時崩れてしまいました。
でも、ユネスコの意思であえて直しません。

1年に2回、この最奥の神像まで
太陽光線が射す。
 小神殿
 



左から2番目と右から2番目は王妃ネフェルタリの像。
それ以外の4体はラムセス2世の像、
足元の小さい像は2人の間の子供たち

一応アリバイ写真



      大神殿↑                       小神殿↑  16mm(35mm換算25.6mm)×2枚パノラマ写真

 第8日目(11/23)は早朝4:45モーニングコールでアブシンベル神殿のライトアップを見物、日の出を見届けてホテルで朝食。その後、
 アスワンに向けて出発、アスワンハイダムを見物、昼食後、ホテル・オールド・カタラクトにチェックイン、アフタヌーンティなどを楽しむ。

 アブシンベル神殿のライトアップ
 
大神殿の写真2枚
 


小神殿


 大神殿↑      16mm(35mm換算25.6mm)×3枚パノラマ写真      小神殿↑

  大神殿内部の写真6枚 神殿内は撮影禁止なのですが、早朝で番人がいなかったので、遠慮なく撮らせてもらいました。

8体のラムセス2世像が並ぶ大列柱室


最奥の像 左からプタハ神・アメンラー神
ラムセス2世・太陽神ラーホルアクティ




 
戦うラムセス2世

シリアの城を攻めるラムセス2世

ヌビア人の捕虜を打ち据えるラムセス2世

 
大神殿入り口 だいぶん明るくなってきました。

↑アブシンベル神殿はこの下から移設された。

ナセル湖の日の出


大神殿↑      16mm(35mm換算25.6mm)×2枚パノラマ写真      ↑小神殿

 
朝日を浴びるアブシンベル神殿、といっても
からっとした晴天ではないので少しさえない。

こんなものを見つけました。
1875年と1887年に書かれた落書き。

ユネスコの移設工事の写真


 セティ アブ シンベル レイク リゾート ホテル
 
私の部屋は1階なのに209号室?
 
と思ったら、表に回ると2階でした。
 
ナツメヤシの実がなっています、甘くておいしい。

 
アスワンの町 左は帆掛け船
の形のモニュメント
 
道路と送電線以外何もないナミブ砂漠


検問で停車したときスカラベ
(フンコロガシ)がいました。

 アスワン・ハイ・ダム
 
ナセル湖側

発電所

下流側

 アスワン・ハイ・ダムは、エジプトの南部、アスワン地区のナイル川に作られたダム。アスワンダムは2つあるが、現在ではアスワンダムと言うとアスワン・ハイ・
 ダムを指すことが多い。 古いアスワンダムは、アスワン・ロウ・ダムとも呼ばれる。1901年に完成し、以降数度にわたって拡張された。アスワン・ハイ・ダムは、
 アスワン・ロウ・ダムの6.4km上流に建設され、1970年に完成した。建設目的は、ナイル川の氾濫防止と灌漑用水の確保であるが、ロウ・ダムだけでは力不足で
 あったために、当時のエジプトのナセル大統領が旧ソ連の支援を受けてアスワン・ハイ・ダムを国家的事業として計画を立てた。高さ111m、全長3,600mの巨大
 ロックフィ ルダムである。 ・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア


 
下流側パノラマ写真    16mm(35mm換算25.6mm)×3枚


ナセル湖側パノラマ写真      16mm(35mm換算25.6mm)×3枚

 
ナセル湖の島の神殿

ダムの建設に協力した
ソ連とエジプトの友好記念塔

砂漠の砂を採集しています、これなら無尽蔵。

 朝、8:30頃アブシンベルのホテルを出発して、ナミブ砂漠を横断すること3時間、アスワンハイダムを見物して、昼食のレストラン到着
 12:40頃この間4時間以上、トイレタイムなしでしたが、バスのトイレを使った人はいませんでした。皆さんなかなか健康です。

  オールドカラクトホテル エジプトでも最高級のコロニアル様式のホテル。

オールドカラクトホテルの本館(左)と新館(右)
 
バスを降りるとわずかな距離ですがカートが迎えに来ました。
 
ホテルロビー

 オールドカラクトホテルの本館建物は1899年に建てられた。ホテルとなってからはフランソワ・ミッテランウィンストン・チャーチル
 ダイアナ妃アガサ・クリスティなども訪れている。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 
部屋から撮ったパノラマ写真   16mm(35mm換算25.6mm)×3枚

向こうの島のレストランで昼食ととりました。

 ウィンストン・チャーチルの泊まった部屋の写真3枚
 
広さ200u、1泊9000米ドルだそうです。

リビングルーム

バスルーム

 アガサ・クリスティーの泊まった部屋の部屋の写真3枚
   
リビングルーム

 
ここでナイル殺人事件などを
書いたのでしょうか。

 第9日目(11/24)は帰国日、遅い出発で切りかけのオベリスクを見物、昼食後空港へ、カイロ・イスタンブール経由で
 第10日目(11/25)20:00頃に成田着、23時前には帰宅できました。

 早朝、ぶらりとホテルの外に出てみました。
 
オールドカタラクトホテルの前庭、
噴水に虹が出ています。

ホテルの前にあるのはキリスト教の教会


ホテルの前の道路


  切りかけのオベリスク
 
アスワンの石切り場
 
赤花崗岩について説明するナセルさん
 
石切り場の全景

 このオベリスクは切り出し途中にひびが入り、ひびを避けるように小さなオベリスクを切り出すよう変更したが、それでもまたひびが
 入って、最終的にはそのまま放置されることとなった。その長さは約42m、重量は1168tと推定され、もし完成していれば現存する
 中で最大の大きさを誇るオベリスクとなっていた。・・・出典:あるホームページ

 
切りかけのオベリスク
 
こちらが上側
 



 アブシンベルに行くコンボイの集合場所
警備車両が停まっています。コンボイは毎日3:30と11:00の出発
  
最終日(11/24)にレストランで昼食をとっていると、
モナヤさんというジャーナリストに我々が取材されてしまいました。

 食事の写真集3
 
11月22日  昼食  タジン料理
煙突のついたタジン鍋かと思ったら違いました。
 
11月22日 夕食 主菜  これも記憶に
ありません。わかる人、教えてください。

11月23日 昼食 主菜 竹輪のような形の肉団子

 
11月23日 アフタヌーンティー スィーツ

11月23日 夕食 主菜 牛肉のロースト 
 
11月24日 昼食 主菜 牛肉の料理

 11月23日の夕食はオールド・カタラクト・ホテルのレストランで、ジャケットやワンピースで少しおしゃれしての食事でした。

 ロシア旅客機が10月31日エジプト・シナイ半島で墜落、11月13日にフランスのパリ市街でのテロと、出発前にイスラム国(IS)関係の事件
 が 続きました。ルクソール事件は昔のこととしても、去年2014年2月にはシナイ半島で韓国人観光客など3人が死亡するテロがあり、
 今回のエジプト旅行に不安がなかったと言えば嘘になります。それでも今回の旅行はシナイ半島ではなくてナイル川沿岸だと、納得して
 出かけました。観光中はバスに観光警察が常に1〜2人同乗し、特にアブシンベルに行くときは、自動小銃を抱えた警官が同乗しました。
 特に不安を感じることなく11月24日に帰国して、12月1日の朝刊で、11月18日に行ったサッカラの階段ピラミッドの近くで、
 警察官4人が死亡するテロがあったという記事を読んでひやりとしました。エジプトは外貨収入の1位がスエズ運河、2位が観光収入です。
 国家を混乱させるのがテロの目的とはいえ、あまりにも理不尽だと思います。途上国へのツアーでも普通、1度や2度は市場・バザール
 などに行きますが、今回は一度もありませんでした。これも治安を心配してのことでしょう。

 添乗員・平林さん、現地ガイド・ナセルさん、お世話になりました。今回13人のメンバーのうち1人参加が男性4人女性1人で、
 カナダから現地集合のご夫婦など多彩なメンバーがすぐに打ち解け、快適に過ごすことができました。ありがとうございました。
 以前、北欧に行ったときにご一緒した方と約1年後、ベルギーの観光地でばったり会ったことがありました。今回お会いした方
 たちともまた、世界のどこかでお会いすることもあるかもしれません。それまでお元気で、さようなら!!

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