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 ***  早春のイラン 遺跡めぐり10日間の旅 4  ***
 
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シラーズ
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ペルセポリス・ヤズド
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イスファハン
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コム・テヘラン

 *** コム・テヘラン ***

   1,このページの写真は、2015年3月13〜15日に撮影しました。
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     第7日目(3/13)は朝8:30発でテヘランに向かう450Kmの長距離移動。途中カシャーン郊外のフィン庭園、
     コムではファティマ廟を見物、テヘランに連泊。途中、核施設があるといわれるところの横を通過、撮影禁止
     ですが周りに高射砲が並んでいました。(高射砲で守れるとも思えませんが。)

  フィン庭園 世界遺産:ペルシャ式庭園
     

 フィン庭園は、イラン・カーシャーンにあるペルシャ式庭園である。フィン庭園内には、1852年、ガージャール朝
 ナーセロッディーン・シャーの宰相を勤めたアミール・キャビールが暗殺された浴場も含まれている。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

       
   右から2番目の写真の右の女性は、我々と写真を撮りたいと話しかけてきました。右端の写真のお兄さんはこんな格好で自分の写真を撮れと
   いいます。そういえば前日、イスファハンのイマーム広場で、こんなことがありました。10歳ぐらいの男の子が我々に、何かを訴えています。
   現地ガイドに聞いたら、自分の写真を撮れといっているという。誰かが写真を撮って、モニターを見せてあげると、満足して引き上げてゆきました。
   イスラムの人は偶像崇拝の禁止で、写真を撮られるのを嫌うと思っていましたが、そんなことは無いようです。


    
ハマムと呼ばれる公衆浴場、ここで1852年、時の宰相が暗殺されたとか、ありそうな事です。

  聖地コム
  
コムへは観光バスが入れないので、シャトルバスで行きます。往きは我々だけ。


ターバンを巻いているのはお坊さん、
後ろで銃を持っているのは警察官。

 ゴムは、イランの都市で、ゴム州の州都。近世ペルシア語ではクム。現代ペルシア語ではq音は有声化しているので、標題はより厳格なペルシア語転写による。
 従前日本では「コム」と表記された。 テヘランから南に約120kmの位置にあり、人口はおよそ780,000人。十二イマーム派の第8代イマームであるイマーム・レザー
 の妹ファーティマの廟(en:Fatima Masumeh Shrine)があり、シーア派の聖地の一つである。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 
コムではやはりお坊さんが多いような

コムの公園、特に遺跡ではない。

コムの町角

 ファティマ廟 十二イマーム派の第8代イマームであるイマーム・レザーの妹ファーティマの廟(en:Fatima Masumeh Shrine)
 
16mm(35mm換算25.6mm)×2枚パノラマ写真


 

 
廟の内部、異教徒は入れません。

ムカルナス

 
観光客も女性はこんな格好をさせられます。黒いチャドルの女性は現地ガイド、空手を習っているそうです。

親子の写真2枚


この女性がしているのはニカブです。

 
ここは中庭、普通のツアーではここまでは入らないとか。
 


中庭のパノラマ写真、人が多くてうまく撮れない。ほとんどがイスラム教徒、
普通、異教徒はここまで入らない。     16mm(35mm換算25.6mm)×3枚

 
帰りのシャトルバスで一緒になった、女子高生ぐらいの巡礼団、イスラムの女性は
黒いチャドルを着ているせいか、陰気な印象をもたれるが、女子高生が陽気で
おしゃべりなのは、万国共通です。

工事中のモノレール



 この後一路、テヘランに向かいます。バスの車窓からの写真3枚。
 
塩の湖 Hoze Soltan Salt Lake
 
線路を珍しく、列車が走っています。
 
テヘランで渋滞中に見た新婚さんの車

 第8日目(3/14)は1日テヘラン市内観光、ゴレスターン宮殿・考古学博物館・宝石博物館・平和博物館を見物、テヘランに連泊。

  テヘラン
 
世界7位の高さの電波塔ボルジェ・ミーラード
 
テヘラン市内、交通渋滞が常時起きる。

裁判所、イスラム教聖職者の写真が貼ってある。 

  ゴレスターン宮殿 世界遺産:ゴレスターン宮殿
 
後ろのビル(税務署)がなんともじゃま。
 




 ゴレスターン宮殿は、ガージャール朝の王宮として建てられました。パフラヴィー朝の時代(1925-1979)まで少しずつ
 建て増しされ、戴冠式など王家のレセプションの場として使用されていました。・・・出典:あるホームページ


 

ライオンは王を、背中の顔は太陽を表す。



 
タイルの絵の写真4枚


 




鏡の宮殿
 
鏡の宮殿の大理石の玉座

宮殿の内部 内部は撮影禁止
なので外からパチリ

 
ゴレスターン宮殿パノラマ写真   16mm(35mm換算25.6mm)×3枚



 
銀行の警備をしているこの人は徴兵された兵士兵士や警官は撮影禁止なのですが、頼んだら撮らせてくれました。
 
バスの車窓からの写真3枚
 
由緒のありそうな工事中の建物


町中どこにでもある募金箱


 
渋滞する高速道路
 
道路脇のオブジェ

遠くに白く光るアルボルズ山脈
最高峰はダマーヴァンド山標高5,610m

 イラン考古学博物館
 



ペルセポリスの階段のレリーフと
右はダリウス一世の像

黄金のマスク


 
黄金のマグカップ

 
ペルセポリスの百柱の間に
あった牡牛の柱頭
 
パルチィアの王子像


1993年、塩抗で見つかった
ミイラ「ソルトマン」

   考古学博物館の後、宝石博物館に行ったのですが、やたらと厳しいセキュリティーチェックがあり、
   内部は撮影禁止、大量の宝石を見物しました。

 テヘラン平和博物館
     
    テヘラン平和博物館は2007年6月、イラン・イラク戦争(1980−88年)の毒ガス犠牲者の慰霊碑と同時に、
    テヘラン市内の公園に完成した。イラン人の男性と結婚してテヘランに50年以上住むというこの日本人女性は、
    敬虔なイスラム教徒。イスラム革命のときは火炎瓶を作ったという。

  第9日目(3/15)は帰国日、午前中じゅうたん博物館を見学して空港に向かい、イスタンブール経由で帰国。

  絨毯博物館
     
 
四季を描いた絨毯
 

 

 
最後の写真ストップ、
空港近くの「ホメイニ廟

 食事の写真集 以前に聞いた情報では、「イランは食事がまずい」ということでしたが、心配するほどでもありませんでした。

3月8日 昼食 魚(鰆)のケバブ


3月8日 夕食 シャリアピン・ステーキ

 
紅茶(チャイ)の上にあるのは砂糖、
紅茶に漬けて溶かして飲む。

 
3月10日 昼食 バターライスに上の
タレをかけて食べる。

3月11日 昼食 チキンとライス


3月11日 夕食  ピザ



3月12日 昼食 イラン風
おこげご飯ターチン

3月12日 夕食  カリンの煮込み


3月14日 昼食 アーブグーシュート


    アーブグーシュト は、ペルシャ料理のひとつ。 羊肉とジャガイモ、タマネギ、ヒヨコマメなどの野菜を、ディーズィーと
    呼ばれる小さめの壷に入れて長時間弱火で煮込む料理。 肉、野菜を、専用の器具を使ってつぶし、スープと具を
    ちぎったナンを混ぜて食する。・・・出典: フリー百科事典ウィキペディア

 

3月14日 夕食 ユーラシア旅行社名物「ソーメン」
帰りのトルコ航空ビジネスクラスの食事

和食の前菜
 

主采 牛肉のケバブ

 イスタンブールの乗り継ぎでは7時間近くをビジネスラウンジで過ごしました。8日間も酒を飲まなかったので思い切り飲んで
 やろうと思っていたのですが、人間やはりそうは飲めません。缶ビール2本でおしまい、後は寝ていました。

 第10日目(3/16)1:15amイスタンブール発、成田着19:30、その夜22:30ごろ無事帰宅しました。

 イランは選挙で選ばれた大統領がいますが、その上にイスラム教聖職者がいる、強固なイスラム教独裁の国です。今回会った2人の現地
 ガイドが2人とも「自分たちはこんなに強固な宗教支配を望んでいない、パーレビ前国王がもう少し国民のための政治をしていたら、革命
 などおきなかった」と言っていたのが印象的でした。こんなことを言ったことがわかると死刑になってしまうと、冗談めかしていましたが。
 でもイランは、一部の州を除いて、治安はとても良い。我々はつい、独裁は悪と思ってしまいがちですが、イラク戦争サダム・フセイン
 の独裁政権が倒れたイラクアラブの春アサドの独裁政権が不安定になったシリアに、「イスラム国」などという、もっと悪いものが
 出来ました。同じくアラブの春で、カダフィの独裁政権が倒れたリビアも、内乱状態でこちらも「イスラム国」を名乗るグループが現れた
 ようです。今、「イスラム国」を打倒しようと、周辺国や欧米各国がやっきになっていますが、「イスラム国」を打倒したとして、そこの
 戦闘員達はどこに行くのでしょう。かえってテロを拡散することにならないか、心配です。

 今回特に印象に残ったのは、イランの人々の温厚な表情です。町ですれ違うとき視線があったりすると、ニコッとして会釈したりすること
 が、何度もありました。カメラを向けてもポーズをとってくれたりします。同じイスラム国のモロッコなどでは、不用意にカメラを向けて、
 険しい視線を浴びたことが何度もありました。我々はイスラム教シーア派は、スンニ派より、宗教的には頑固と思いがちですが、
 現地ガイドによれば、シーア派のほうが宗教的には寛容だそうです(シーア派の人が言うことなので、真相はわかりませんが)。

 でも経済的には困難な状況が続きます。イスラム革命の1979年に6円=1リアルだったのが、今では300リアルで1円、実に1800倍の物価
 上昇です。これは革命時のアメリカとの断交、イラクとの戦争やスンニ派との対立、そして今は、核開発疑惑による経済制裁などにより
 ますが、こんなことを解決すればもともと豊かな産油国、観光資源の遺跡などもたくさんあり、温和な国民性からして、観光産業が発展
 することは間違いないでしょう。

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