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福田のデジカメ写真ギャラリー海外編トップ 
 ***  3大一神教の聖地を訪ねる・イスラエル7日間の旅 3  ***
 
Page1
 
死海・ティベリア
カナ・ナザレ
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エリコ・オリーブ山
・ベツレヘム
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エルサレム1

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エルサレム2・ヨルダン


 *** エルサレム1 ***

   1,このページの写真は、2016年1月18日に撮影しました。
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  第5日目(1/18)は朝からバスでエルサレム旧市街に移動、その後は徒歩でエルサレム旧市街観光、エルサレムに連泊。

  エルサレム旧市街 世界遺産:エルサレムの旧市街と その城壁群 今日はいよいよエルサレム旧市街に入ります。
 
地中海からの砂嵐でかすむ、オリーブの丘と

 
万国民の教会・ゲッセマネの園・マグダラのマリア教会
 
城壁の門、名前が糞門、あんまりな名前です。


 糞門という名称は、ネヘミヤ記にみることができる。焼却するためにごみがエルサレム神殿からヒンノムの谷へと運ばれたことに
 ちなんだものだとされる。この古代の糞門は現在のものとは異なる位置にあった。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 
糞門から入りました。

神殿の丘のアル・アクサー・モスク

神殿の丘のに入るには安全検査があります。

 
神殿の丘に入る木道

木道から見える嘆きの壁 
 
神殿の丘の入り口
  神殿の丘
 
アル・アクサー・モスク

岩のドーム

一応アリバイ写真

 神殿の丘は、エルサレムの旧市街にあるユダヤ教、イスラム教の聖地である。神殿の丘には岩のドーム(西暦690年)とアル=アクサー・モスク
 (西暦710年)が建っている。 この場所には紀元前10世紀頃、ソロモン王によりエルサレム神殿(第一神殿)が建てられた。しかし、紀元前
 587年、バビロニアにより神殿は破壊される。その後、紀元前515年に第二神殿が再建されるが、西暦70年に今度はローマ帝国によりエル
 サレム攻囲戦が行われ、再び神殿は破壊される。また、このときの城壁の一部が嘆きの壁である。 ・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 神殿の丘では異教徒は目をつぶってはいけない。目をつぶると異教徒が邪教を祈っているとみなされて、神殿の丘から追い出されるという。


アル・アクサー・モスク↑             神殿の丘パノラマ写真    16mm(35mm換算25.6mm)×4枚パノラマ写真

 岩のドームは、東エルサレムにある、カアバ、預言者のモスクに次ぐイスラム教の第3の聖地であり、「神殿の丘」と呼ばれる聖域となっている。現在はイスラム教徒の
 管理下にあるが、南西の壁の外側の一部だけが「嘆きの壁」としてユダヤ教徒の管理下にある。7世紀末に完成した集中式平面をもつ神殿である。 ユダヤ教、キリスト教、
 イスラム教にとって重要な関わりを持つ聖なる岩(Foundation Stone)を祀っている。それゆえ、このドームはその神聖な岩を覆った記念堂であり、礼拝所としての
 モスクではない。 建設に際して刻まれた総延長240mに及ぶ碑文では、イエスの神性を否定はするものの、預言者であることを認めている。・・・出典:フリー百科事典
 ウィキペディア


 アル=アクサー・モスク は、エルサレム旧市街の「神殿の丘」あるいは「ハラム・シャリーフ」と呼ばれる聖域の南に、ウマイヤ朝時代に創建されたモスクである。
 銀のドームとも呼ばれる。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 
別の角度から見た岩のドーム
 
別の角度から見たアル・アクサー・モスク
 
神殿の丘には警備の警察官がたくさんいます。

 
岩のドームの隣の建物の天井の写真2枚
 
神殿の丘から見たマグダラの
マリア教会と主の涙の教会

 

 
岩のドームの入り口、異教徒は入れないので望遠レンズで覗いてみました。
 
最後に名残りの岩のドーム

神殿の丘から外に出ます。

寒そうにストーブにあたる婦人警官

エルサレム旧市街はこんな感じの路地が多い。

  嘆きの壁
 
いよいよ嘆きの壁、向こうはアル・アクサー
・モスクさっき通った木道が見えます。


左2/3が男性用、右1/3が女性用
女性用のほうが混んでいます。


ユダヤ教の聖地に入るには帽子をかぶら
なくてはいけません。無い人はキッパ
と呼ばれるこの帽子を借ります。

 嘆きの壁は、ヘロデ大王時代のエルサレム神殿の外壁のうち、現存する部分。神殿はユダヤ教で最も神聖な建物であった。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 帰国後に読んだ新聞で、嘆きの壁に男女共用の場所を作ろうとの提案が出て、保守派が反対しているという記事が出ていました。記事にリンク

 
信者の方はトランス状態、我々が無遠慮に声を出しても気にならないようです。

 
ユダヤ教では13歳で元服式
バル・ミツバ)だそうです。


嘆きの壁パノラマ写真   16mm(35mm換算25.6mm)×2枚

一応アリバイ写真


旧市街をキリストの苦難の道:ヴィア
・ドロローサに向かいます。
 
警備の警官、観光客にはフレンドリー

 ヴィア・ドロローサ
 ヴィア・ドロローサ(「苦難の道」の意)は、新約聖書の四つの福音書の記述やキリスト教の伝承などから想定されるイエス(キリスト)の最後の歩みのこと。
 いずれの福音書でも、イエスは十字架を背負って総督ピラトの官邸(プラエトリウム)から刑場のあるゴルゴダの丘までの道のりを歩いたとされている。
 ヴィア・ドロローサの始発点はエルサレム旧市街北東のイスラム教地区にあるライオン門付近、終着点は旧市街北西のキリスト教地区の聖墳墓教会内にある
 イエスの墓に相当する。その間、始発点と終着点を含めた計十四箇所に留(りゅう)と呼ばれる中継点が設けられており、第9留までが旧市街の入り組んだ
 路地の途中に、残りの五つが聖墳墓教会の内にある。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア


  第1留(station):ピラトの官邸
    第1留は現在、男子校の敷地となっている場所にあり、16世紀以来ヴィア・ドロローサの始発点に
    定められている。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア
    男子校のとヴィア・ドロローサの道をはさんで反対側に、ヴィア・ドロローサの実質的な始発点の
    有罪判決の教会がある。
 
ヴィア・ドロローサの実質的な始発点の、有罪判決の教会(Condemnation Chapel)の写真6枚
 

 
潔白を主張して手を水に浸すピラト

ローマ兵によって茨の冠を被せられるイエス
 
イエスの代わりに釈放される盗賊バラバ

 第2留:鞭打ちの教会



 
王の印、赤い衣を着せられたイエス
 
十字架を背負わされたイエス

苦難の道
 第3留:イエスが最初につまずいた場所
 
 
 

左:第3留     右:第4留
第4留:苦悩の母のマリア教会       
 
苦悩の母のマリア教会の写真3枚
 



 第5留:シモンがイエスに代わり十字架を背負った場所
 

  
この壁にイエスが手をついた?  みんなが触るのでへこんでいます。私も触ってみました。
 第6留:ベロニカの教会
 
ベロニカという女性がイエスの顔を拭いたという場所
 
近くの道

ここでコーヒーを飲んだ。
イエスではなく私がです。

 第7留:イエスが2度目に倒れた場所
       

 第8留:聖ハラランボス・ギリシャ正教会

イエスがエルサレムの婦人
たちに語りかけたという場所

記念の十字架

見上げて説明している現地ガイド
信夫(しのぶ)さん

 第9留:イエスが3度目につまずいた聖墳墓コプト教教会
 
やっと聖墳墓教会が見えてきました。
 


左の写真の右にあるコプト教教会の内部

この丸いのはデイルエス・スルタン
奥が聖墳墓コプト教教会
  
この2枚は聖墳墓コプト教教会の内部

 聖墳墓教会 第10留〜第14留は聖墳墓教会の中です。ただし、第13留:マリアがイエスの遺骸を受け取った場所の
         写真がありません。薄暗くて、混雑していたので見逃したようです。少し残念!!

 第10留:イエスが衣を脱がされた場所
 
右端の十字架が立てかけてある小聖堂が
第10留:イエスが衣を脱がされた場所
 
この入り口から聖墳墓教会
に入ります。
 
最初にあったモザイク画


 第11留:イエスが十字架に釘づけにされた場所
     

  第12留:磔になったイエスの十字架が立てられた場所(ゴルゴダの丘)
     

  
緑のテーブルクロスの台の下に、イエスの十字架の立てられた穴があります。
 
ゴルゴダの丘の岩が露出している。

 第14留:イエスの墓
 
イエスの墓の全体
 
入り口
 
入り口の上の飾り

この奥が墓所 

 墓所の写真 撮影禁止といわれたような気がしますが、番人もいないので撮ってしまいました。

祭壇の上部

祭壇の中段

祭壇の下段

 
墓所の出口の碑文

墓の入り口の反対側はギリシャ正教の祭壇
 
墓の入り口の向かい側の祭壇


終油の石 十字架から降ろされたイエスの
遺体は、この石の上で香油で清められた
亜麻布に包まれた。

十字架から降ろされたイエスを描いたモザイク画
16mm(35mm換算25.6mm)×2枚パノラマ写真

 イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。
 ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。 そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を
  百リトラばかり持って来た。 彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。 (ヨハネによる福音書
  :第19章38〜40節)・・・出典:あるホームページ


 普段は混んでいて時間がかかるので、ツアーではカットされてしまうこともあるというキリストの墓もすいていて、
 それほど待たずに入れました。神殿の丘もすいていたし、今はイスラエル観光のチャンスかもしれません。

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