*** 地中海の小さな島国 マルタとキプロス9日間の旅 4 *** |
*** キプロス共和国1 ニコシア ヒロキティア トロードス *** |
1,このページの写真は、2017年4月4〜5日に撮影しました。
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第6日目(4/4)はバスでニコシア市街へ、徒歩でニコシア市街を見物後、ヨーロッパの美しい村30選に選ばれたという
レフカラ村へ、昼食後世界遺産:ヒロキティアへ、その後リマソルの
セント ラファエル リゾートに2連泊。
キプロス共和国 ニコシア
 城壁の上で咲くユダの木 |
 ニコシア旧市街の入り口、ファマグスタ門 |

ベネチア時代の水道橋 |
キプロス共和国、通称キプロスは、トルコの南の東地中海上に位置するキプロス島の大部分を占める共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。首都はニコシア。
ヨーロッパ連合加盟国。公用語はギリシア語。 キプロス島の一部は、イギリス海外領土のアクロティリおよびデケリアであり、往来は容易であるものの共和国領では
ない。さらに1974年以来、南北に分断されており、島の北部約37%を、国際的にはトルコ共和国のみが承認する「独立国家」であるトルコ系住民による北キプロス・
トルコ共和国が占めている。一方のキプロス共和国は国際連合加盟国193か国のうち、192か国(トルコを除く)が国家承認をしている。 キプロスは元来はギリシャ系
住民とトルコ系住民の混住する複合民族国家だったが、分断後は事実上、ギリシャ系によるほぼ単一民族国家となっている。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア
北キプロスとの緩衝地帯(グリーンライン)には本来パスポートを見せて通るのに、警備の警官に日本人5人のグループですと話すと、特別に入れてくれました。

ニコシア市街レドラス通り
ケンタッキー・フライド・チキンの看板が見えます。 |

この先、北キプロス。北キプロスはトルコしか認めていないので、国境ではなくてグリーンラインと言います。
トルコの国旗と、木に隠れてしまいましたが北キプロスの国旗。この先は撮影禁止です。
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キプロス紛争は、1955年からキプロスで継続している紛争。事実上のギリシャとトルコの代理戦争になっている。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア
北キプロス・トルコ共和国、通称北キプロスは、キプロス島の北部に存在する国である。1983年、隣国トルコの軍事的な後ろ盾を得てキプロス共和国から
の独立を宣言した。トルコ以外からの国家承認は受けていないが、キプロス共和国の実効支配は及んでいない。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア
今回のツアーのキプロスでの現地ガイド、アンドレアさんは北キプロスの生まれで、キプロス紛争で南に逃げた後、ニューヨークやアフリカ
で大変苦労されたようです。今回のツアーで気が付いたことの一つは、あちこちでギリシャの国旗が掲げられているのにキプロスの国旗を
あまり見なかったことです。キプロスの人は自分達はギリシャ人と思っているのでしょう。同じように北キプロスの人は自分たちはトルコ人
と思っているのかもしれません。
オスマントルコの時代からいろいろあったでしょうから、共存は難しいのかもしれません。

タトゥーのお店 |

こりゃあなんだ?! |

宝くじを売っています。 |
 北キプロス方面パノラマ写真 16mm(35mm換算25.6mm)×3枚
ビルの11階展望台から見た北キプロス、中央の山に北キプロスの国旗、右のミナレットは元キリスト教の教会、今はイスラム教のモスク。 |
 左の山の中腹に北キプロスの旗が見えます。 |
 新市街方面パノラマ写真 16mm(35mm換算25.6mm)×3枚 |
ヨーロッパの美しい村30選に選ばれたという、レフカラ村
レオナルド・ダ・ヴィンチも訪れた、手編みレースで知られた村、道端で女性たちがレースを編んでいます。
1481年にレフカラ村を訪れたレオナルド・ダ・ヴィンチが、美しいレフカラレースに感動し、ミラノの大祭壇に飾るために
レースを持ち帰ったと言われている。・・・出典:
あるホームページ
 地ワインのテイスティング |

キプロス美人 |

バスから振り返ったレフカラ村 |
ヒロキティア 世界遺産:ヒロキティア

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ヒロキティアパノラマ写真 遠くに高速道路が見えます。16mm(35mm換算25.6mm)×4枚 |
ヒロキティアは、地中海のキプロス島に残る新石器時代の遺跡である。1998年にユネスコの世界遺産に登録された。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

これはもちろんレプリカですが、新石器時代に
こんな立派な建物があったとは、ちょっと信じられない?! |

アーモンドの実が生っています。
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第7日目(4/5)はバスでトロードス地方へ移動、世界遺産:トロードス地方の壁画聖堂群の修道院・教会などを昼食をはさんで見物、
その後、ワインの郷オモドスのワイナリーとオモドスの町を見物、リマソルのセント ラファエル リゾートに連泊。
トロードス

トロードス山中の小さな教会 |

途中で寄った土産物屋、ロクムなどを買いました。 |

雪の峠、丸いドームは標高1951mのオリンポス山頂上 |
キッコー修道院 注、世界遺産には含まれていない。
キッコー修道院:キプロス中西部、トロードス山脈の北西中腹にある修道院。ペドゥラス村の西方約20キロメートルに位置する。11世紀末の創建。何度か火災に
見舞われたため、現在の建物は19世紀から20世紀にかけて建てられた。同国で最も著名な修道院であり、数多くの巡礼者が訪れる。・・・出典:あるホームページ

中庭 16mm(35mm換算25.6mm)×3枚パノラマ写真 |

一応アリバイ写真 |
アシィヌの生神女聖堂 世界遺産:
トロードス地方の壁画聖堂群
「アシィヌの生神女聖堂」は「トロードス山脈」の「ニキタリ村」にある「12世紀以降に描かれたビザンティン様式の
美しいフレスコ画」が残っている「ギリシャ正教の聖堂」です。・・・出典:
あるホームページ
トロードス地方の壁画聖堂群は、キプロスの世界遺産の一つである。トロードス山脈に残るギリシャ正教の9ないし11の聖堂と1つの修道院が対象となっている。
いずれの聖堂・修道院も、ビザンティン様式の美しいフレスコ画が残っていることが評価されたものである。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア
バスの車窓から撮った2枚

どこかの村
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小さな教会
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山から落ちてきちたという大きな岩、
有名らしいけど特に意味はありません。 |
昼食の為に立ち寄った小さな村
カコペトリア
 村の入り口 |

大きな岩が壁の一部になっている。 |

レストランの店内の飾り |
屋根の聖ニコラオス聖堂 世界遺産:トロードス地方の壁画聖堂群
「屋根の聖ニコラオス聖堂」は「トロードス山脈」の「カコペトゥリア近郊」にある「12世紀に付け加えられた玄関廊の切り妻屋根」
が印象的であることから名付けられた「ギリシャ正教の聖堂」です。 ・・・出典:
あるホームページ
ワインの郷オモドス

小さなワイナリー
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ワイナリーの周りはブドウ畑
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オモドスはブドウ畑に囲まれた小さな町です。
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キプロスはワイン発祥の地と言われており、特にオモドス村では紀元前2500年以上前からワインが作られていたという。・・・出典:あるホームページ

オモドスの町 ギリシャの国旗が翻っています。 |

オモドスの教会の写真5枚 |

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左から2番目の写真:この十字架の中に、キリストの十字架の木片が収容されているという。
左から3番目の写真:上の小窓の中にはキリストの血のにじんだロープの切れ端、十字架にかけられた時、キリストの腕を縛ったという。
右端の写真:ローマ時代の遺跡の柱頭などによくみられる
アカンサスの葉。

バスから振り返ったオモドスの町 教会が見えています。 |

高速道路から見たどこかの町、
丘の上まで家が建っています。 |

ホテルの窓から見た地中海
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食事の写真集4 4月4日 昼食 レフカラ村の伝統料理
サラダ、タヒーナ(ゴマペースト)、ザシキ(ヨーグルトときゅうりのサラダ)、Tavas(レフカラ村の伝統料理)、肉団子、
チキン+ポークのスブラギ、フルーツ とにかく、すべて手作りのいろんな料理が出てきました。とても食べきれません。
4月5日 昼食 シーフードメセ(巨石の町、カコペトリアにある古い村の有名?レストラン)
フェタサラダ、ナス、タヒーナ、野菜グリル+ライス+ポテト、
ニジマス1匹、タコ・イカフライ、オレンジ+ナツメヤシ+
チョコレートケーキ、自家製パン。こちらもたくさん出てきて、食べきれません。
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