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 ***  最果てのパタゴニアと雨季のウユニ塩湖 16日間の旅 5  ***
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ブエノスアイレス〜
ペリト・モレノ氷河

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パイネ国立公園

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プエルト・ナタレス
〜ウシュアイア

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サンタ・クルス
〜ポトシ

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ウユニ塩湖・ラパス


 *** ウユニ塩湖・ラパス ***

   1,このページの写真は、2014年2月4〜6日に撮影しました。
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   ポトシを出て、バスの車窓からの写真6枚。

グアナコに似ているがこちらはリャマの群れ

白いのはほっそりしているからビクーニャか?

おっと危ない、地震でもあると!!

 ビクーニャは、アルパカ、リャマ、グアナコと近縁であり、伝統的には、ビクーニャとアルパカをビクーニャ属に、ラマとグアナコをラマ属にまとめられる。
 しかし、これら4種の類縁関係には諸説があって統一的見解は得られていない。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 ビクーニャの毛は動物の毛では最高級とされる。しかし、飼育するとストレスで毛が抜けてしまい、飼育することができないそうです。飼育
 しているリャマの群れの中に、たまにビクーニャが混じっていることがあり、体がリャマよりほっそりしているので見分けがつくそうです。
 上の真ん中の写真の、白い固体はほっそりしているので、ビクーニャかなと思ったのですが、たんにリャマの子供かもしれません。


大きなサボテン

ウユニ塩湖に向かって下ります。

先住民の家


ウユニ塩湖が見えてきました。   15mm(35mm換算24mm)×2枚パノラマ写真


上のパノラマ写真と同じところから撮った望遠85mm(35mm換算135mm)写真の上下をトリミング


4WD6台のコンボイです。

ウユニ村を通過。

泊まった塩のホテル「クリスタルサマナ

ウユニはボリビアの西側にある小さな町である。塩の生産と観光が産業のほとんどを占めている。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 ウユニ塩湖  ウユニ塩湖は四国の半分ほどもある大きな湖です。 ホテルに到着後、すぐにウユニ塩湖の夕焼けを見に出かけました。

すでに大勢の人が写真などを撮っています。

沈む夕日と湖面に映る夕日、双子の夕日です。 広角写真の上下をトリミング


天空の鏡の夕焼け      広角写真の上下をトリミング




塩のホテルには塩の彫刻があちこちにあります。

ホテルの部屋、天井を除き壁や床も全て塩です。

 ウユニ塩原はボリビア中央西部のアルティプラーノにある塩の大地。標高約3,700mにある南北約100km、東西約250km、面積約10,582kuの広大な塩の固まり。
 塩原の中央付近で回りを見渡すと視界の限り真っ白の平地であり寒冷な気候もあって、雪原の直中にいるような錯覚をおこす。 なお本項目では学術的に正確
 な表現である「塩原(えんげん)」を用いているが、一般には「塩湖」と呼ばれることの方が多い。 乾期(7月頃〜10月頃)には塩原はほぼ乾いておりその上を自動車
 で簡単に走行できるが、雨期には若干の水が溜まり場所によっては自動車による走行ができないところも現れる。乾期でも塩を数cmから数十cm掘ると水がしみ
 出てくる。ウユニ塩原はリチウム埋蔵量で世界の半分を占めると見積もられている。電気自動車の電池などリチウム需要は将来的に高まると予想され、新たな
 リチウム産地としても注目されている。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア 一説ではリチウムの世界の埋蔵量の70%以上という。これはすごいことです。

  第13日目(2/5)は終日ウユニ塩湖の観光、ウユニ塩湖に連泊です。

  早朝6時過ぎに、ツアー参加者が湖に出かけるのを窓から見かけて、私も追いかけました。そのときの写真6枚

朝日を見に、すでに4WDが
何台も来ています。

山の端から上がる太陽と
水面に写る太陽

日本人5人を含む13人が
なくなった事故の慰霊碑

 2008年5月現地時間1日午後2時半(日本時間2日午前3時半)ごろ、日本人観光客が巻き込まれた交通事故が発生し、日本人5人・イスラエル人5人・運転手ら
 ボリビア人3人が死亡した。事故はウユニ塩湖の東岸から約40キロ入った塩原内で発生。日本人観光客の乗った車とイスラエル人らの車が正面衝突、炎上した。
 病院に運ばれたが、全員死亡したという。・・・出典:あるホームページ   5月といえば乾季だし、こんなに見通しの良いところで正面衝突なんて!!

  フラミンゴの編隊飛行の写真3枚


コルチャニ村のリャマと
塩の博物館の写真3枚

共通の祖先から、リャマ・グアナコ
・アルパカ・ビクーニャが分れた。

塩の採取の様子



採取した塩の集積


ここで塩を焼いて袋につめる。


袋詰めしています。200gほどで15円
お土産に最適。

  ウユニ塩湖にやってきました。今日は1日塩湖の観光です。

一応アリバイ写真

6台の4WDで走ります。




15mm(35mm換算24mm)×3枚パノラマ写真


これらのトラックは塩を採取しています。



これではオートバイが傷みます。


天空の鏡      広角写真の上下をトリミング


終日、濃い塩水の中を走るので、ここは4WDの墓場です。    広角写真の上下をトリミング

 
皆さんトリック写真に挑戦しています。

ガスが噴出していて「塩の目」と呼ばれるところ


  ↑パリダカのモニュメント    ↑プラヤブランカホテル、今はトイレのみ ↑これもパリダカのモニュメント     
望遠写真の上下をトリミング


パリダカのモニュメント

これもパリダカのモニュメント

水のないところも、もちろんあります。

 ダカール・ラリーとは、1978年にティエリー・サビーヌによって創始された、ラリーレイド競技大会の一種である。「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われて
 いる。このラリー競技大会は、コース設定が徐々に変わってきたことでその名称も変化してきており、かつては 「パリ-ダカール・ラリー(略称パリダカ)」と呼ばれた。
 以前は、例年1月1日(前年の12月末に始まることもある)にフランスの首都・パリからスタートし、スペインのバルセロナからアフリカ大陸に渡り、セネガルの首都
 ・ダカールまでのおよそ12000kmを走ることで知られていたが、2009年からは南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスからチリを回る周回コースに、2012年からは
 ペルーを加えた3カ国を通るルートとなった。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 2014年の第35回ダカール・ラリーは、アルゼンチンスタート、チリがゴール。 アルゼンチンのロザリオで1月5日に車検を終えた競技者は翌日スタート、ボリビアを
 経由して1月18日、チリのバルパライソがゴールとなる。 ボリビアはダカール・ラリーのホスト国として28番目の国。・・・出典:パリダカ日本事務局ホームページ


15mm(35mm換算24mm)×4枚パノラマ写真


天空の鏡

天空の鏡    15mm(35mm換算24mm)×2枚パノラマ写真


こんなところでピクニックランチ


逆さ人文字です。写ったほうが正しい文字!UYUNI と書いています。

天空の鏡


 
4WDのドライバーが塩の結晶を採ってくれました。




こんな深いところもあります。


もう一度見られた双子の夕日


ホテルの前にあった自転車、
フランスの旗が付いていました。

   第14日目(2/6)は帰国日、ラパス・リマ・アトランタ経由で帰国します。成田着は日付変更線を
   通過するので2月8日の予定。実際は波乱の帰国でした。


ウユニ空港からアマゾネス航空で
ラパスに飛びます。

ウユニ塩湖が見えます。


飛行機から見えたブロッケン現象見たのは2度目ですが、写真が撮れたのは初めてでした。

  ボリビアの首都ラパス

土産物屋の店頭 リャマのミイラはお供え物

鳥のミイラ

独特の色使いの布

 ラパス:中心街の標高は3600m強で、すり鉢状の地形を持つ。その高さから雲の上の町と呼ばれる。おおざっぱに言うと、すり鉢の底の部分に高所得者が、縁の部分に
 低所得者が住んでいる。現在に至るまで人口は増え続けており、すり鉢の内側はほぼ飽和したために隣のエル・アルトに市街地が拡大している。そのため、市街地の
 上と下で、700mほどの標高差があると言われる。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

  これらのボンネットバスはアメリカのスクールバスの中古だとか。


サンフランシスコ教会前の広場

サンフランシスコ教会

帰りのバスから見たすり鉢状のラパス市街

  食事の写真集

2月4日夕食 チキンとライス


2月6日昼食 日本料理
日本人にはやっぱりこれ

2月6日昼食のデザートはお汁粉
これは泣かせる。

  GPS端末の経路図

2月4日 スクレ→ウユニ塩湖

2月6日 ラパス市内

ボリビア国内の位置関係図

 第16日目(2/8)、デルタ航空295便は成田に向けて順調に飛行していたのが、成田空港が雪で閉鎖されてしまい、名古屋の
 中部国際空港に着陸しました。それから名鉄で名古屋に出て、新幹線で東京に向かい、帰宅できたのが午後11時過ぎでした。
 あとでテレビなどを見ると、2月8日の成田空港は雪で鉄道や道路が使えず、空港に缶詰めになった人がいたようです。
 名古屋からでも当日に帰宅できたのは、ラッキーだったのかもしれません。(東京までの交通費は航空会社から後日振込み)
 成田からトランジットで先に行く人(外国人)が大勢、乗り継ぎカウンターに並んでいましたが、どうしたのでしょう。心配になりました。

 最初、今回の旅行の目的はペリト・モレノ氷河ウユニ塩湖で、あとは漠然とパタゴニアという最果ての地に対する興味でした。
 実際には、パイネの山や湖のすばらしい風景や、パタゴニア名物という強風を体験しました。強風については、南に行くほど
 強くなるということでしたが、結果的にパイネのハイキングのときが一番強い風で、もっと南、ウシュアイアではそれほどの
 強風ではありませんでした。これはラッキーだったということでしょう。
 アルゼンチンは白人の国で、先住民はあまり見かけませんでしたが、ボリビアではたくさんの先住民(インディオがいます。
 これはアルゼンチンでは、白人が入植して牧畜などを行い、先住民を圧迫してほぼ絶滅してしまったのに対して、ボリビアでは
 銀山などが、強制的に集められたインディオの奴隷による労働によって、支えられていたことと関係があるのかなと思います。
 またスクレポトシなどの世界遺産の町を見物して、考えていた以上に、興味深い体験ができて大満足の旅でした。

 今回のツアーのメンバーの17名は、さすがに旅行経験が豊富な方ばかりで、南極に行ったことのある方が2名いました。
 中でも、南極に2回北極に1回なんていう女性には、驚かされました。 添乗員・村田さん、お世話になりました。
 今回ご一緒した方々とは、また世界のどこかでお会いすることがあるかもしれません。それまでお元気で、さようなら。

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