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福田のデジカメ写真ギャラリー海外編トップ 
      ***  ヨーロッパ紀行 ポーランド8日間の旅 1  ***

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ショパンの生家

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ワルシャワ

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ヤスナ・グーラ修道院

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ヴィエリチカ岩塩坑
・クラクフ

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アウシュビッツ
・再びクラクフ

 

 *** ショパンの生家 ***

   ポーランドに行ってきました。ポーランドといえば、まわりの強国から何度も侵略された、苦難の歴史が思い浮かびます。
   今回の旅行では特に第2次世界大戦時のワルシャワ蜂起その後の復興ユダヤ人弾圧などが印象に残りました。
   下記に、ポーランドの歴史をフリー百科事典「ウィキペディア」から抜き出してみました。

   1241年からのモンゴル帝国の侵攻により国土は荒廃し、モンゴル軍撤退後14世紀にはポーランド・リトアニア共和国として
   黄金期を迎えるが1772年からロシア帝国プロイセン王国オーストリアの3強国によるポーランド分割により国土は消滅、
   第1次世界大戦後、1918年に独立を回復したが、1939年8月、ナチス・ドイツソビエト連邦が締結した独ソ不可侵条約
   秘密議定書によって、ドイツとソビエトの2か国に分割され、ポーランドは再び消滅することになる。第二次世界大戦中の
   ワルシャワ蜂起などのレジスタンス運動も成功せず、結局ソ連軍によって解放されたため、戦後は社会主義国としてソ連
   の衛星国の一国となった。1989年9月7日に非共産党政府の成立によってやっと民主化が 実現し、1999年NATOに加盟、
    2004年5月1日欧州連合 (EU) に加盟した。

   1,このページの写真は、2018年5月30日〜31日に撮影しました。
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   第1日目(5/30)フィンエアー 9:50成田発、ヘルシンキ経由でポーランドの首都ワルシャワへ、ウェスティンワルシャワホテル
   に3連泊。第2日目(5/31)は朝からバス移動でショパンの生家のあるジェラゾヴァ・ヴォラを観光、午後はワルシャワに戻って
   世界遺産:ワルシャワ旧市街の観光でした。ウェスティンワルシャワホテルに連泊。

 
フィンエアー ビジネスクラス 足元が少し
狭いけど窓側1列なので、まあ快適!!
 
ヘルシンキ空港 ムーミンショップ


ワルシャワ空港 20:47 まだ明るい
 

  ポーランドの首都ワルシャワ

 ホテルの窓から見たワルシャワ新市街

朝、ホテルのまわりを少し歩いてみました。 

右のビルが泊まったウェスティンワルシャワホテル 

  ブロフフの聖ロフ教会
 
ブロフフの聖ロフ教会はショパンが洗礼を受けた教会。
この日は聖体の日とかでミサが行われていた。
 

 
正装の信者が集まってきます。

 

 

 
おばさん画伯が写生をしています。

 

コウノトリ(くちばしの赤いシュバシコウ)の巣 

 ジェラゾヴァ・ヴォラショパンの生家
 
ショパンの生家、ただし後に復元されたもの
 

一応アリバイ写真 

 フレデリック・ショパン:ポーランドの前期ロマン派音楽を代表する作曲家。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家
 として有名だった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式・美しい旋律・半音階的
 和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

 
ショパンの生家パノラマ写真   16mm(35mm換算25.6mm)×2枚

ずっと音楽が聞こえていると思ったら
ボースのスピーカーが隠れていました。
 

  
家具や内装も、彼が生まれ育った当時のまま忠実に復元された。 ただし、このピアノが当時のものかは分かりません。

 

 

 
楽譜がありますが、印刷物のようです。

 
庭に咲いていた花の写真3枚 シャクヤク
 
フレデリック・ショパンという名の白バラ

 ヘメロカリスニッコウキスゲの仲間)
 ちなみにコペルニクスという名のピンクのバラキュリー夫人という白バラもあるらしい。いずれもポーランド人です。

 
聖体の日のパレードで、ワルシャワに帰るバスが止められてしまいました。パレードの終点の教会

空手の道場があるようです。 

食事の写真集 フィンエアービジネスクラスの食事
 
ウェルカムドリンクのシャンパンとアミューズ
 
前菜 春の七草花織り箱
 
主菜 牛肉ステーキ

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