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福田のデジカメ写真ギャラリー海外編トップ 
 ***  中央アジア周遊17日間の旅 4  ***
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キルギス

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カザフスタン

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ウズベキスタン
タシケント・ヒワ
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トルクメニスタン

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ウズベキスタン
ブハラ・シャフリサブス
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ウズベキスタン
サマルカンド・タシケント

 *** トルクメニスタン ***

   1,このページの写真は、2012年9月20日〜23日に撮影しました。
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トルクメニスタン クフナ・ウルゲンチ 世界遺産:クフナ・ウルゲンチ この日はヒワからトルクメニスタン・タシャウズへ3度目の国境越えでした。

トラベク・ハニム廟の写真5枚





 かつて、クフナ・ウルゲンチは、アムダリヤ川沿岸にあり、シルクロードにおける最大の都市であった。クフナ・ウルゲンチの始まりは、
 はっきりとしていないが、Kyrkmollaの要塞は、ハカーマニシュ朝にまで遡る。 12世紀から13世紀初頭にかけてがクフナ・ウルゲンチの
 黄金時代であった。中央アジアで、クフナ・ウルゲンチをしのぐ人口を誇った都市はブハラを除いて他になかった。しかし、1221年、
 チンギス・ハンが中央アジアへの進出を開始して、人類史に類を見ない大虐殺を展開した。 クフナ・ウルゲンチは、チンギスによる虐殺
 の後に復興を見せることとなるが、1370年代には、アムダリヤ川の流れが北に変わったことにより、自然による都市の破壊が始まった。
 1370年代には、クフナ・ウルゲンチは放棄され、北には新ウルゲンチと呼ばれる都市が新たに建設されることとなった。時代は既に
 ティムール朝の時代へと変わっていた。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア




クフナ・ウルゲンチ黄金期12世紀の王の墓

  クトゥルグ・チムール・ミナレットの写真3枚   高さ67mで中央アジアで最も高い ミナレットです。


荒野に広がるクフナ・ウルゲンチの遺跡  これはパノラマではなくて広角写真の上下をトリミング。


イル・アルスラン廟


スルタン・テケシュ廟


スルタン・テケシュ廟の天井に
わずかに残るオリジナルのタイル


中央はスルタン・テケシュ廟  これもパノラマではなくて広角写真の上下をトリミング。

 このあと国内線でアシハバードに移動、飛行機がなんと3時間20分遅れ、ホテル着が24:40でした。飛行機が遅れた理由は不明ですが、
 この国は大統領専用機が飛ぶとき、国内のほかの全ての飛行機は飛行禁止になるそうです。こんな国はいずれクーデターが起こるでしょう。

 第10日目(9/21)はニサ遺跡・モスク・汗血馬の子孫といわれるアハルテケ種の厩舎・博物館などを見て、アシハバードに連泊。

  ニサ遺跡 世界遺産:ニサのパルティア時代の城塞群

  ニサはトルクメニスタン南西部に残るパルティア王国時代の都市遺跡である。王の建造物群のあった旧ニサと民衆の居住地区であった
  新ニサとから構成される2つの遺丘で、いずれも城壁に囲まれ、互いに 1.5 km ほど離れている。これら2つの遺丘は、2007年の第31回
  世界遺産委員会で世界文化遺産に登録された。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア


旧ニサ遺跡全景   15mm(35mm換算24mm)×3枚パノラマ写真

  世界で4番目に大きいというトルクメンバシィ・ルーフ・モスクの写真3枚







この奥はトイレ、大理石の立派なトイレ
ですが便器はやっぱりオリエンタル
 汗血馬の子孫といわれるアハルテケ種

この馬の毛色は鹿毛


この毛色はこの種だけ 砂漠の色にまぎれるので軍事的に貴重だそうです。

こちらは黒鹿毛か青鹿毛と
いうのでしょうか。

   1935年、トルクメン人の騎手団が、アシハバートからモスクワまで2,500マイル(4000Km)を84日で走破した
   のが示したように、この品種には大きな持久力がある。この行路には235マイル(376Km)の砂漠を含んでいたが、
   水なしで3日で横断した。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

  トルクメニスタン国立博物館

博物館正面



ビーナス像

仏像
仏教文化圏の西端はメルブ遺跡と
いわれているそうです。





 地元テレビ局に取材されてしまいました。
ただし、実際に放送されたかはわかりません。

世界第2の大きさの絨毯 下にいる人と比べて
ください。世界最大の絨毯はイランにあるそうです。

  アナウ遺跡(セイルジュマル・モスク) 世界最古の農耕集落の遺跡のひとつ
 

女性たちが願掛けをしていた。

これが願掛け

アシハバードの露店のバー

  中央アジアは今、綿花の収穫の時期です。

綿花畑で働く人々


完全防備なのでわかりませんでしたが
10代の少女たち

ラクダと羊と牛の放牧

   綿摘みは10代の少女たちで1日50〜60Kg、ベテランになると1日100Kgも摘むそうです。

 第11日目(9/22)は早朝から空港に向かい、国内線でマリィに飛び、メルブ遺跡や博物館・バザールなどを見物してマリィに宿泊。

 メルブ遺跡 世界遺産:国立歴史文化公園“古代メルフ”

大キズカラ遺跡 左に小さく見えるのが小キズカラ遺跡
15mm(35mm換算24mm)×2枚パノラマ写真

大キズカラ遺跡

  メルブには、紀元後1世紀頃に仏教が入ってきたと考えられ、城壁の南東すみに、仏寺跡とみられる遺跡がある。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

大キズカラ遺跡内部  15mm(35mm換算24mm)×3枚パノラマ写真


小キズカラ遺跡


左:小キズカラ遺跡 右:大キズカラ遺跡


これは何でしたっけ? 名前の記録がありません!
おぼえている人教えてください。!!


15mm(35mm換算24mm)×3枚パノラマ写真


エルク・カラ遺跡
全員があのてっぺんまで登りました。
 
エルク・カラ遺跡のてっぺんからの写真2枚



エルク・カラ遺跡のてっぺんからの、360゜パノラマ写真 15mm(35mm換算24mm)×7枚


これは新しいモスクのようですが。名前の記録がありません! おぼえている人教えてください。

モスクで祈る人

老人会でしょうか、声をかけられました。



スルタン・サンジャル廟

見上げる人

見上げている天井


ムハマンド イブン サイード廟


願掛けの木の説明をするガイドの
モハメット氏 右は添乗員の飯野さん

バラの花



女学生かな、バスに手を振ってくれました。緑色はトルクメニスタンの国旗の色
 
マリィ博物館の前の道路を行く赤い制服の集団、高校生ぐらいでしょうか


  マリィ博物館

  マリィ中央バザール



果物が豊富です。

これは唐辛子(多分)


肉屋のおじさんにカメラを向けたら斧を振り上げた。
べつに怒っているわけではありません。

パン屋のお姉さんにカメラを向けたら、
テレながらもポーズをとってくれました。

衣料品店


   民俗音楽のディナーショーの写真3枚

  食事の写真集

9月21日夕食  チキンの煮込みなど


9月22日夕食
ショーを見ながらケバブなど

9月23日昼食 魚料理 成田のビジネス
ラウンジから持ってきた醤油が役に立った。

今回は初めて「ユーラシア旅行社」のツアーに参加しました。他社の同じようなツアーと比べて少し安かったのですが、マリィのホテルの部屋に
入ってびっくりしました。ホテルの客室がなんと窓のない地下室、観光ツアーでこんなのは初めてです。安さの理由がわかった気がしました。

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