6/6
福田のデジカメ写真ギャラリー海外編トップ 
 ***  中央アジア周遊17日間の旅 6  ***
Page1

キルギス

Page2

カザフスタン

Page3

ウズベキスタン
タシケント・ヒワ
Page4

トルクメニスタン

Page5

ウズベキスタン
ブハラ・シャフリサブス
Page6

ウズベキスタン
サマルカンド・タシケント

 *** ウズベキスタン(サマルカンド・タシケント) ***

   1,このページの写真は、2012年9月25日〜27日に撮影しました。
   2,画像をクリックすると、拡大画像がごらんになれます。
   3,画像を保存する場合は、「マウスの右クリック」 → 「名前を付けて画像を保存」 で、保存してください。
   4,拡大画像からこのページに戻る場合は、ブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください。
   5,もし画像が正常に表示しない場合は、ブラウザの「更新」ボタンを何回かクリックしてみてください。
   * モニターの解像度がXGA(1024×768)の場合は、全画面でご覧ください。
      出来ればSXGA(1280×960)以上の解像度でご覧ください。

    第15日目(9/26)は終日サマルカンド市内観光、今回のツアーの最大の目的地・
    レギスタン広場などを見て、サマルカンドに連泊。

  サマルカンド 世界遺産:サマルカンド‐文化交差路

ホテルの窓から  グリ・アミール廟
・ルハバット廟が見えます。


朝食後、時間があったので近くを
散歩してみました。
奥にグリ・アミール廟、右にルハバット廟

ルハバッド廟




グリ・アミール廟の写真2枚





レギスタン広場に行く途中の噴水
左にグリ・アミール廟、右にルハバット廟
  レギスタン広場 レギスタンとは砂地という意味。
  朝早くだったので、人が少なくて写真が撮りやすい。


Sonyのデジカメのパノラマ機能で撮影


三脚を使わないのでうまく撮れない  15mm(35mm換算24mm)×3枚パノラマ写真


写真を撮っていたら、ハローと
大きな声で挨拶してくれました。

   サマルカンド 「青の都」「イスラム世界の宝石」「東方の真珠」等と謳われるチムール帝国の都・サマルカンド
   今回のツアーの最大の目的地です。いったんホテルに帰ったあと、改めてバスで市内を観光します。

  グリ・アミール廟(アミール・ティムール廟)
  グリ・アミール廟には、チムールとその息子達が眠っています。






黒い棺がチムールの棺、ただしイスラムは全て
土葬なので、地上にあるのは仮の棺だそうです。

チムールの茶碗 出征するとき石を1人1個入れて
帰ってくると1個取る。残った石が戦死者の数。
  レギスタン広場
 
レギスタン広場はサマルカンド観光の目玉、3つのメドレセ(神学校)が広場を囲みます。

正面のティラカリ・メドレセのドーム


広場の西側はウルグベック・メドレセ

ウルグベック・メドレセの中庭

先生たちの銅像


広場の正面にあるのはティラカリ・メドレセ
 
ティラカリ・メドレセの中庭の写真2枚


ティラカリ・メドレセの内部の写真3枚

  ティラカリ・メドレセは内部の一部が、博物館になっています。
 
レギスタン広場のメドレセがチムールの時代からずっと今の姿だったわけではありません。20世紀初めごろは、この写真のような廃墟でした。ソ連の時代に修復が行われたという。

昔のオリジナルのレンガの破片



広場の東側はシェルドル・メドレセ


シェルドル・メドレセの中庭


シェルドル・メドレセの内部は
こんな展示やお土産やさん

民族衣装で正装した女性

この2人はツアー参加者

民族楽器を弾いてくれました。

これはお土産やさん


ティラカリ・メドレセの前から南側を見る。


花嫁さんがいました。とっても美人です。
でも、強い日差しに白い肌が少し痛々しい。

最後に名残のレギスタン広場
これこそサマルカンドの青でしょう。
  ビビハニム・モスク

  ビビ・ハニム・モスクは中央アジア最大のモスク。1395年にティムールはインドから財宝と100頭の象を連れてきて世界で一番
  大きいモスクを立てるよう命令し、毎日見回りに来て駕籠の上から肉や貨幣を撒いて工事を急がせた。この結果モスクはティムール
  の死の1年前の1404年に完成した。しかし工事を急がせたためか煉瓦の落下で死者が出たので使われなくなった。その後も
  煉瓦の落下が続いて崩壊が進み、さらに度重なる地震で壊れてしまった。・・・出典:あるホームページより


ビビハニム・モスクの内部

大きな大理石のラウヒ(コーラン書見台)

ビビハニム・モスクの前にあるビビハニム廟
   大理石のラウヒに載せた大きなコーランはオスマン・クラーンという世界最古のコーランだそうです。
   オスマン・クラーンはタシケントのハシュト・イマーム・モスクにあるそうです。

                                


バザールから見たビビハニム・モスク

サマルカンドのバザールの写真5枚

中央アジアといえばザクロ
ルビーのように輝いています。


ドライフルーツ屋の坊や、とっても
商売上手で、お土産を余分に買いました。


香辛料のようですが、下のほうは
どうやって取り出すのでしょう。

砂糖の結晶、なぜか黄色い。


唐辛子とパプリカ(多分)


    シャーヒズィンダ廟群
 
外からみたシャーヒズィンダ廟群の写真2枚

天国の階段、この階段を数えて登りと下りが同じだったら天国に行けるそうです。


右:2つのドームの
コシュ・グンバズ廟

左手前:アミール・ゾダ廟
左奥:シャーディムルク・アカ廟

ビビハニム・モスクが見えました。



左手前:八角形の廟

参道に沿って廟が並ぶ

突き当たりにあるフッジャ・アフマッド廟

 
シャーディムルク・アカ廟内部の写真2枚

クサム・イブン・アッパース廟の天井


ウルグベク天文台

 
かつてのサマルカンドがあったアフラシャブの丘の写真2枚
遠くにレギスタン広場(左遠く)やビビハニム・モスク(右)が見えます。

 紀元前4世紀にはアレクサンダー大王がこの街の美しさを絶賛し、7世紀には玄奘三蔵法師が美しさ、城壁の堅固さを賛えている、
 かつてのサマルカンドは、13世紀の初めにモンゴル軍に襲撃され、跡形も無く破壊されてしまった。・・・出典:あるホームページより

 第16日目(9/27)は朝からタシケントに向かい、タシケント市内観光してから空港に向かい、帰国の途に着く。

  タシケントに移動する途中で見た光景

ウズベキスタンのナンはこんナンです。

道路脇ででりんごを売っています。

こちらは蜂蜜


ざくろを売っています。

羊飼いの少年

故障しちゃったみたいです。


こんな潅漑用水路が網の目のように
張りめぐらされています。

中央アジア第2の大河
シル・ダリア

木の根元が白く塗られているのは
防虫のため

    タシケント日本人墓地

お線香をあげて、
みんなでお参りしました。

ウズベキスタン各地の墓地の
埋葬者数が書いてある

この人の父親が日本人墓地を作った。今は、この人が管理をしています。

  第二大戦直後、中国東北地方、樺太や北方領土にいた日本兵約65万人(定説)がスターリンの指示により強制的にシベリアに抑留され
  長年労働を強いられ、厳しい環境の下、約6万人の命が失われた。この墓地には、タシケント周辺、ヤッカサライ墓地より79名、タシ
  ケント地区墓地より8名、計87名(再確認中、更に多い)の日本人が眠る。・・・出典:あるホームページより

  タシケントに戻ってきました。

タシケントはウズベキスタンの首都
こんなおしゃれなレストランもあります。

日本兵が(一部)作ったといわれる
ナヴォイ劇場は工事中

ウズベキスタン歴史博物館



この博物館では撮影料を
10USドルも取られました。

この博物館の目玉ガンダーラ仏


女性の顔を持った鳥?






金製品

宝冠

日本の古墳から出土するような鏡

  食事の写真集

9月26日昼食  チキン串焼き

9月26日夕食  民家レストランにて

最後の食事9月27日夕食 ミドリ寿司という韓国料理店で、チゲ鍋に入った日本式のうどん?!

 第17日目(9/28)、タシケントの出発が2時間30分遅れたため、成田到着が午前11時25分、午後2時ごろ無事帰宅できました。

 今回は中央アジアというややマニアックな、しかも17日間という長丁場の旅、出発前は少し心配でしたが、行ってみれば心配したほどでも
 なく青空トイレも、腹をこわしたことも、良い思い出になりました。キルギスのイシク・クル湖・天山山脈、カザフスタンの大草原、トルクメニ
 スタンの遺跡や、汗血馬の子孫アハルテケ種、ウズベキスタンのヒワ・ブハラ・シャフリサブス・サマルカンドなどの遺跡や建築物群、中でも
 レギスタン広場の3つのメドレセなど、一生の思い出になるものばかりでした。同行された皆さんとも良い思い出が作れて、満足の旅でした。

 中央アジアはイスラム圏ですが、旧ソ連圏です。ソ連の影響が残っているのか、あまり宗教色が強くありません。
 ロシア系の人が目立ちますが、そうではないアジア系の人でもアルコールを飲む人、豚肉を食べる人がいるそうです。
 何よりカメラを向けたとき、笑ってくれたりポーズをとってくれたり、好意的な人が多かった。バザールを歩いていると若者のグループが
 声をかけてきて自分たちを撮れという。仕方がないので1枚とってモニターを見せると、にっこり笑って握手して終わり、なんてこともあり
 ました。今年の2月に行ったモロッコもイスラム圏ですが、そこでは無造作にカメラを向けて、険しい視線を浴びることもありました。遠くか
 らカメラを向けて、大きな声で怒鳴られたこともあります。観光客には優しい中央アジアの観光は、これからもっと発展するように思います。

 今回のツアーでは、メンバー15名のうち、ご夫婦1組のほかは、男性5人・女性8人が1人参加という、珍しいメンバーでした。
 皆さん旅のベテランばかりで、ピースボートで世界1週を経験された方が2名いらっしゃり、そのうち1名は2回も世界1週をしていると
 いう方、それ以外の方も、世界の秘境に行かれた方がたくさんいらっしゃいましたした。このような方たちなので、皆さんともすぐに打ち
 解けて楽しく旅を終わることができました。ありがとうございました。
 添乗員・飯野さん、お世話になりました。ブハラのホテルで飯野さんご持参のソーメンを食べたときは、感激でした。
 今回は、ユーラシア旅行社のツアーに、私としては初参加でしたが、マリィの地下室ホテルをのぞいて、おおむね満足のいく旅でした。
 旅なれた皆さんのこと、世界のどこかでまたお目にかかることがあるかもしれません。それまでお元気で、さようなら!!

  福田のデジカメ写真ギャラリー海外編トップ  中央アジア周遊17日間の旅トップ 前ページ 次ページ このページのトップに戻る