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福田のデジカメ写真ギャラリー海外編トップ 
 ***  ヨーロッパ紀行 フランス編 1  ***
 
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ニース・アルル・
・カルカッソンヌ
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アヴィニョン・ポンデュガール・
リヨン・ブールジュ

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シャンボール城・
モンサンミッシェル
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ヴェルサイユ宮殿

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パリ1 ルーブル美術館・
ノートルダム寺院
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パリ2 凱旋門・
エッフェル塔

 *** ニース・アルル・カルカッソンヌ ***

     ヨーロッパ紀行第4弾として、1月19日〜28日の日程でフランスツアーに行ってきました。季節はずれの時期で、
     飛行機がビジネスクラスの割りにツアー料金が比較的安価なので、寒いのは覚悟しての旅でした。

   1,このページの写真は、2011年1月20〜21日に撮影しました。
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     第1日目(1/19)は成田からフランクフルト経由でニースへ、ニース市内泊。成田−フランクフルト間のみビジネスクラス。
     第2日目(1/20)はニース市内を観光した後、アルルに移動し観光、アビニオンに移動して宿泊。

    ニース(Nice)

行きに乗ったエアバスA380 総2階建ての世界最大の旅客機この1枚のみ1/19日に撮影

明け方、ホテルの窓から見えた
カフェを撮影。

プロムナード・デ・サングレ
(イギリス人の散歩道)

 
城跡公園

大型クルーザーの並ぶニース港

寒中水泳?!


この4枚はサレヤ広場の市場

大きなパプリカと添乗員の森本さん

魚屋さん


花屋さん

近代的な路面電車(LRT

四角い顔のオブジェ


ニース サン ニコラ ロシア正教会大聖堂




ニースの街角、空がやたら青い

ゴッホの絵「はね橋」モデル アルル郊外
こちらをクリックすると説明板にあった
ゴッホのはね橋の絵が見られます。
ゴッホのはね橋

   アルル (Arles)  世界遺産:アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群

左耳のないゴッホの顔のある公園
夏の公園(Jardin d'Ete)」

古代劇場


円形闘技場



右:サン=トロフィーム教会

サン=トロフィーム教会入口

サン=トロフィーム教会内部の写真5枚



ゴッホの夜のカフェテラスのモデルの店(左)
とノーベル文学賞作家
フレデリック・ミストラルの銅像(右)

ゴッホ精神病院の入口



ゴッホ精神病院の中庭


 こちらをクリックすると説明板にあった「夜のカフェテラス」と「ゴッホ精神病院」の絵が見られます。夜のカフェテラス ゴッホ精神病院

 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh):1888年に、ポール・ゴーギャンと南フランスのアルルで共同生活をする。
 しかし不和となり、ゴーギャンに「自画像の耳の形がおかしい」と言われると、自分の左の耳たぶを切り取り、女友達に
 送り付けるなど奇行を始め、精神科病院に入院する。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア

  アルルの街角の写真3枚

      第3日目(1/21)はカルカッソンヌの観光、アビニオンに連泊。

 カルカッソンヌ (Carcassonne)  世界遺産:歴史的城塞都市カルカソンヌ

この4枚が一番外側の城壁

カルカッソンヌの城壁の入口

漫画チックな女性像「女領主カルカス」




豚を抱えた女領主カルカス



 「女領主カルカス (Dame Carcas) の伝説」 サラセン人の占領下にあった頃、侵略しようとしたカール大帝は市門の前に陣を敷き攻囲戦を
 行った。この攻囲は五年を超えたが、この時、夫の大公亡き後シテの騎士団を率いていたのが、公妃カルカスであった。攻囲が六年目に入った
 とき、シテの内側では兵糧も水もなくなりかけていた。カルカスは残っているものの一覧を作ろうとしたときに、市民は豚一頭と小麦の袋をもって
 きた。彼女はこれを見て一計を案じ、豚に小麦を食わせて太らせた上で、塔から市外へと放り捨てた。これを見たカール大帝とその部下たちは、
 太った豚を惜しげもなく捨てるのだから、市内にはまだ十分な兵糧があるに違いないと考え、撤退を決めた。カルカスはその勝利を祝福し、町中
 の鐘を鳴らさせた。撤退中の大帝軍の一人はこう書き記した。「カルカスが鐘を鳴らしている(Carcas sonne ; カルカ・ソンヌ)」と。
 伝説では、これが市の名前の由来になったのだという。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア


コンタル城










上の写真2枚の中庭を上から撮った。

   サン・ナゼール大聖堂(バジリカ教会) の写真5枚






城内のの街角にあった顔。


フランス唯一の5つ星ホテル?
オテル・ド・ラ・シテ

城内の街角


城外の街角
(昼食を食べたレストランの近く)

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