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 ***  ヨーロッパ紀行 フランス編 3  ***
 
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ニース・アルル・
・カルカッソンヌ
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アヴィニョン・ポンデュガール・
リヨン・ブールジュ

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シャンボール城・
モンサンミッシェル
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ヴェルサイユ宮殿

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パリ1 ルーブル美術館・
ノートルダム寺院
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パリ2 凱旋門・
エッフェル塔

 *** シャンボール城・モンサンミッシェル ***

   1,このページの写真は、2011年1月23〜24日に撮影しました。
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  シャンボール城(Chateau de Chambord) 世界遺産:シュリー=シュル=ロワールからシャロンヌまでのロワール渓谷

シャンボール城全景 広角写真の上下をトリミング



  シャンボール城は、古典的なイタリアの構造に伝統的なフランス中世の様式を取り入れた、フレンチ・ルネサンス様式が特異な城である。ロワール渓谷最大の威容を
  誇るが、元はフランソワ1世の狩猟小屋を始まりとした城であり、彼の主な居城はブロワ城アンボワーズ城であった。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア


屋上テラスから前庭を見る パノラマ写真 15mm(35mm換算24mm)×3枚





こちらは縦位置の写真を3枚パノラマ合成したら、妙な具合になりました。
15mm(35mm換算24mm)×3枚





 
この2枚と上の真ん中の写真は、お姫様の寝室のようです。






狩猟ための城らしく、大量の獲物が。

狼の剥製と、右端は巨大なトラバサミ

  第6日目(1/24)は朝からモン・サン・ミッシェルを目指して移動、午後からモンサンミッシェルを見物して、対岸のホテルに宿泊。

   モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel) 世界遺産:モンサンミシェルとその湾

バスの車窓からモン・サン・ミッシェルが
見えてきました。

天気が悪いのが残念。





 * モン・サン・ミッシェルのモンは山、サンは聖、ミッシェルは英語のミカエルのフランス語読み、従って、モン・サン・ミッシェルは聖ミカエルの山の意味


いかに日本人が多いか、わかります。
 
はね橋と落下式鉄格子、城砦として使われたこともあった名残。




日本の観光地と変わらない参道の風景


教会の扉の左は、オルレアンの乙女、
ジャンヌダルク




   ジャンヌ・ダルクユリウス暦 1412年1月6日 - 1431年5月30日)は、「オルレアンの乙女」(The Maid of Orleans)とも
   呼ばれるフランスの国民的英雄で、カトリック教会における聖人。 百年戦争の際にオルレアン解放に貢献し、
   シャルル7世ランスで戴冠させ、フランスの勝利に寄与したとされる。コンピエーニュの戦いで捕虜と
   なり、宗教裁判で異端者と断罪され、ルーアンで火刑になった。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア


  ノルマンディー地方南部・ブルターニュとの境に近いサン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られる。潮の満ち引きの差は15メートル以上ある。
  このため、湾の南東部に位置する修道院が築かれた岩でできた小島はかつては満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていた。
  島の入口には潮の干満時刻を示した表示があり、満潮時には浜に降りないようにと記されている。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア



モンサンミッシェルのテラスから、 パノラマ写真 15mm(35mm換算24mm)×3枚

 この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地であった。708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使・ミカエルから
 「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。再び同じ夢を見たが、また信じなかった。ついに3度目には大天使はしびれを
 切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いているこ
 とに気づいて愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりである。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア





塔のてっぺんの大天使・ミカエル










荷物を引き上げるための、
そりのような物が使われていた。





天使・ミカエル、
塔の上の天使と同じ大きさ。
 
城壁の外周に沿って下りてきました。






  ホテルの窓から、ライトアップされたモン・サン・ミッシェルの夜景を撮影。

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