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 ***  インド・ネパール・ヒマラヤ10日間の旅 2  ***
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デリー

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アグラ
ファテーブル・シークリー
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バラナシ
サールナート
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カトマンズ

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ポカラ

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パタン
ナガルコット

 *** アグラ ファーテブル・シークリー ***

   1,このページの写真は、2011年12月17〜18日に撮影しました。
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      第3日目(12/17)はアグラ観光、朝一番にタージ・マハルを見て、午前中にアグラ城見物、
      午後はファテーブル・シークリー観光、アグラに連泊。


象の神 ガネーシャ ホテルのロビーにて

インドでは牛はシヴァ神の乗り物ナンディン
神聖な動物である。

インドではサルにもハヌマーン
という神様がいる。


タージマハルには切符を買ってから
1Kmほど、電気自動車で行きます。

入口で安全検査があります。


タージ・マハルの禁止事項
意味が良く分からないのもあります。

  タージ・マハル 世界遺産:タージ・マハル

赤砂岩で縁取られた南門(ダルワーザー)

門から見たタージ・マハル

逆さタージ・マハル

 タージ・マハルは、インド北部アーグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、死去した愛妃ムムターズ・マハル(1630年)
 のため建設した総大理石の墓廟。インド=イスラーム文化の代表的建築である。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア


Sonyのコンパクトデジカメのパノラマ機能で撮影


一応アリバイ写真






タージ・マハルの左側にはモスク、右側には「ジャワブ」(Jawab )と呼ばれる迎賓館があります。
この2つの建物は外観が同じなので、左右対称になります。 15mm(35mm換算24mm)×3枚パノラマ写真


タージ・マハル左側のモスク
 
基壇の上に登るには、靴を脱ぐか靴カバーをしなければいけない。


タージ・マハルの裏側、このヤムナー川
対岸にアグラ城が見えるはずが、
残念ながら霞んで見えない。

これは多分、ワカケホンセイインコ(輪掛本青鸚哥)
東京の我が家の周辺にも、飼い鳥が野生
化したこれの群れ
が住み着いている。

タージ・マハル右側のジャワブと
呼ばれる迎賓館



廟の内部は撮影禁止

細かい彫刻






霊廟の中への入口

警備の警官

ミナレットの基部


右側のジャワブと呼ばれる迎賓館から見る。



タージ・マハル側から門を見る。

      最後に振り返って見た、タージ・マハルの写真3枚。


南門の外に出てきました。

馬車ではなくてラクダ車

こちらは本物の馬車

  アグラ城 世界遺産:アーグラ城塞

 アーグラ城塞は、インドのアーグラにあるムガル帝国時代の城塞。デリーからアーグラへの遷都に伴い、皇帝アクバルによって1565年に
 着工され1573年に完成した。その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となった。 アウラングゼーブが兄弟間の後継者
 争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジュ)に幽閉してデリー
 に移った。 外側から見ると赤砂岩主体の「赤い城」であるが、城内の宮殿には白大理石も多用されている。ムサンマン・ブルジュの内壁や
 床は幾何学的な装飾が施された白大理石で出来ている。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア


ジャハーンギール宮殿

この石の鉢は風呂だそうです。


 この石の風呂は、金箔が貼ってあったので、金むくと勘違いしたイギリス人がここまで運び出して、
 金箔がはがれたので石と気付いて、ここに放置したと、ガイドのチャウラさんが言っていました。


右端が囚われの塔(ムサンマン・ブルジュ)

タージ・マハルがうっすらと見えます。




少しお疲れ!!


Sonyのコンパクトデジカメのパノラマ機能で撮影




謁見の間(ディワニ・アーム)



 ファテープル・シークリー 世界遺産:ファテープル・シークリー

ディーワーネ・ハース(内謁殿)


ディーワーネ・ハース内の柱
この上に王様が座ったそうです。

パンーチ・マハル


 ファテープル・シークリーは、インドのウッタル・プラデーシュ州アーグラ約40km西に位置する、ムガル帝国第3代皇帝アクバルによって
 建設された都市。当時アクバルは跡継ぎに恵まれなかったが、この地に住むイスラム教の聖者サリーム・チシュティーを訪ね、世継ぎ
 の問題について相談したところ、息子を授かるだろうとの予言を授けられた。そのおかげで王子ジャハーンギールが誕生し、記念とし
 てここに新たな都を造り、アーグラから遷都した。しかし、慢性的な水不足と猛暑のため、わずか14年間(1574年〜1588年)しか使用さ
 れず廃墟となった。ディーワーネ・ハース(内謁殿):皇帝の私的な謁見のための建物である。2階の吹き抜けに対角上のブリッジを掛
 け渡した。ブリッジの交差部分にアクバルが腰掛け、1階で諸派の賢人知者が議論するのを見ていた。パーンチ・マハル:五層の建築物
 である。壁がない建築物のため、遊戯、納涼、展望のための施設であったと考えられる。 ディーワーネ・アーム(公謁殿)皇帝と
 国民が接する開放的な建築物、広い中庭をアーケードが取り囲む。 ・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア


Sonyのコンパクトデジカメのパノラマ機能で撮影


15mm(35mm換算24mm)×3枚パノラマ写真


15mm(35mm換算24mm)×4枚パノラマ写真


15mm(35mm換算24mm)×3枚パノラマ写真


ディーワーネ・アーム(公謁殿)



孔雀が2羽います。


バスの車窓からの写真3枚

3輪自転車の荷台で携帯電話中



   第4日目(12/18)は、朝から列車でバラナシ(ベナレス)に移動して、バラナシに連泊の予定。
   でもなかなか予定通り行かないのがインドです。


ツンドラ駅 9:42am

ホームで2時間以上待ちました。

やっと列車が入ってきました。11:51am

 アグラのホテルから1時間ほどバスに乗って着いた、ツンドラ駅。ところが10時25分出発予定の列車が着いたのが11時51分、いきなり
 1時間遅れです。最初は順調に走っていたと思ったのが、そのうちのろのろ運転になって、ついに長時間停まったままに。どうしたのかと
 思ってガイドに聞くと、濃霧の為走れないとのこと、ドアを開けて前方を見るとなるほど、すごい農霧です。下車駅メガール・サライ駅に
 同日の19時45分に着く予定が、翌日の5時30分着になりました。実に9時間45分遅れです。ホテルまではさらに車で、30分ほどかかりました。


インド国鉄のマーク



ガイドのチャウラさんと添乗員稲田さんの機転と
努力で調達された
夕食のお弁当。アルミ箔に包んで
あるのはナンです。これはこれでおいしかった。

翌日の5時30分やっと下車駅
メガール・サライ駅に着きました。

  インドは暑い国というイメージがあり、“ガイドブックにもインドには三つの季節しかない、Hot・Hotter・Hotest だ”
  と書いてあったので、寒さの心配はしていなかったのですが、やっぱりインドにも冬はありました。特に列車の中ではセーターを着て、
  ベストを着て、ダウンジャケットを着て、シーツにくるまっていました。

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