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福田のデジカメ写真ギャラリー海外編トップ 
 ***  ヨーロッパ紀行 南イタリア・シチリア島編 6  ***
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ローマ

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ナポリ・カプリ島

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ナポリ・ポンペイ
アマルフィ
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パレルモ・モンレアーレ
アグリジェント
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カルタジローネ
タオルミーナ・メッシーナ
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アルベルベッロ
マテーラ

 *** アルベルベッロ・マテーラ ***

   1,このページの写真は、2013年4月3〜5日に撮影しました。              
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  アルベロベッロに向かうバスの車窓から撮った写真6枚

レッジョ・ディ・カラブリアから見た
メッシーナ海峡

菜の花畑


イタリア半島の長靴のかかとの上まで
来てアドリア海が見えてきました。




お城が見えます、人が住んでいるようです。

虹がかすかに見えました。

  アルベロベッロ 世界遺産:アルベロベッロのトゥルッリ
  午後6時ごろアルベロベッロ到着、夕食後、添乗員さんらと夜景の見物に出かけました。

  とんがり屋根のトゥルッリが並びます。




これはどこかのバーの閉店後



  第8日目は午前中アルベロベッロ市内でトゥルッリなどを観光、午後はマテーラを観光してアルベロベッロに連泊。


ホテルの窓から、夜明けのトゥルッリ
 
朝食後、集合時間の前に1人で撮影に出かけました。


15mm(35mm換算24mm)×2枚パノラマ写真

トゥルッリがこの形になったのは深いわけがある。今のような町ができる前、人々は石だらけの痩せた土地で細々と暮していた。15世紀末この
町を支配していたナポリからジャンジローラモ2世(アクアヴィーバ伯爵)が送り込まれた。当時、ナポリ王は伯爵から家の数によって税金を
取っていた。しかし、アクアヴィーバ伯爵は、税金をごまかすためにすぐに解体できる家作りを指示した。国の役人がやってきたときに屋根を
壊して、これは家ではないと主張する為であった。農民たちはアクアヴィーバ伯爵の命令で何度も解体と建設を繰り返さなくてはならなかった。
農民たちは家の形を必死に考え、ついにトゥルッリを作り上げた。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア



 
空の色がこんなに濃い青に写るのはPLフィルターのためです。

  午前中は全員で徒歩観光に出かけました。


トゥルッリのマークはキリスト教的な
意味と魔術的な意味がある。
 
トゥルッリの教会サンタントニオ教会の写真2枚


 
サンティ・メディチ・コズマ・エ・ダミアーノの聖所記念堂の写真2枚

聖所記念堂前から見た町

  マテーラ 世界遺産:マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園

ランフランキ館 かつては神学校で、
現在は中世・近代美術館になっている。

洞窟住居の喫茶店(たぶん?!)


右端はサン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会



サッシと呼ばれる凝灰岩に穴を開けて作られた家(洞窟住居)の町マテーラ
15mm(35mm換算24mm)×2枚パノラマ写真

  マテーラのサッシ:旧石器時代の出土品もあることから、古くからこの地に人が住んでいたようですが、記録では8世紀頃にイスラム
  に追われたギリシャの修道僧がこの地にやってきて、15世紀頃になるとバルカン半島からオスマントルコに追われた人々が住み着き、
  その後は長らく小作農民の住居として、南イタリアの貧しさの象徴とされてきたそうです。電気もガスもなく、台所もトイレも家畜も
  一緒の非衛生なサッシから、戦後は行政の手で住民を郊外へ強制的に移住させたことで、サッシ地区は無人となり廃墟と化しました。
  その後、洞窟住居の歴史的遺産としての価値が見直され、住居等として再生整備の上で利用されるようになり、まだ空き洞窟は多い
  もののサッシ地区には徐々に復興してきているようです。・・・出典:あるホームページ


左の岩山はサンタ・マリア・デ・イドリス教会


映画「パッション」でキリストが十字架を背負って 歩く場面が撮影されたという坂





洞窟住居の中、ここは寝室、
湿気を防ぐためベッドが高い。

家事室


地下1階は家畜の部屋
地下2階はワインの貯蔵室




サン・フランチェスコ・ダッシージ教会



    第9日目(4/5)は帰国日、朝からバーリに移動、ミュンヘン経由で帰国。(成田着4/6)


最後の夕食をとったトゥルッリのレストラン

ドロミテ航空 エンブラエル195型機
(ブラジル製) 航空会社も機体も
初体験でした。結構きれいな機体です。

バーリ空港を離陸後見えたアドリア海



 食事の写真集  前回のヨルダン・チュニジアツアーでは食事が合わなくて体重が3Kgも減りましたが、今回はそんなことは
無く、イタリアでは前菜に、パスタが日本人には充分すぎるほど出るので、体重は1Kg減ですみました。

3/30 昼食前菜 リゾットペスカトーレ



3/31 昼食前菜 ピッツァマルゲリータ



4/1 アグリジェントに行く途中で寄ったサービス
エリアでどなたかに分けていただいた
アランチーニ。温かくておいしかった。


4/1 昼食主菜 シチリア風カツレツ

4/2 昼食前菜 ナスのパスタ

4/2 夕食前菜 いわしのパスタ


4/2 夕食主菜 カジキマグロのソテー

4/3 昼食前菜 ヒヨコマメのパスタ

4/4 昼食前菜 オレキエッテ

  第10日目(4/6)10:25am成田着、午後2時ごろには無事帰宅できました。

  今回のツアーでは、3日目のカプリ島で天気が悪く、青の洞窟にも入れず散々でしたが、それ以外では2010年5月の初めて
  のイタリア旅行で時間の取れなかったバチカンなどは、今回充分に時間が取れましたた。3日目以降ではエメラルドの洞窟に
  入れなかったのをのぞいて、おおむね好天に恵まれ、良い旅行ができました。

  今回は20人のメンバーで1人参加は私だけでしたが、皆さんすぐに打ち解けてくださり、楽しく旅を終えることができました。
  ありがとうございました。添乗員の斉藤さん、お世話になりました。ベテランらしい行き届いたガイドでした。
  以前、北欧旅行でご一緒した方と、ベルギーの田舎の観光地でばったり出会ったことがありました。今回ご一緒した皆さんとも、
  世界のどこかでばったり出会うことが、あるかもしれません。それまでお元気で、さようなら!!

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