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 ***  トルコ 奇景と遺跡めぐり10日間の旅 3  ***
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ポアズカレ

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カッパドキア

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コンヤ・パムッカレ

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エフェソス
イズミール・ペルガマ
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トロイ・ダーダネルス海峡
エディルネ
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イスタンブール


 *** コンヤ・パムッカレ ***

   1,このページの写真は、2013年5月11〜12日に撮影しました。              
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  コンヤに移動する途中で寄ったキャラバンサライ(隊商宿)の写真3枚

   コンヤ 

メヴラーナ博物館の写真5枚
内部は撮影禁止




こんなおじさんがくるくる回る映像を
見た記憶があります。

   1228年に中央アジアバルフ(現在のアフガニスタン北部)に生まれたイスラム神秘主義者ルーミー(メヴラーナ)が
   カイクバード1世の招請によってコンヤに定住、1273年に亡くなるまでコンヤで活動し、トルコを代表する神秘主義教団で
   あるメヴレヴィー教団を開いた。メヴレヴィー教団は日本語では旋舞教団といわれ、スカートをはいた信者が音楽にあわ
   せてくるくると回転をし踊るという宗教行為で知られる。これは祈りの手段であり、回転は宇宙の運行を表し、回転すること
   で、神との一体を図るというものである。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア


昔の神学校の宿舎



インジェ・ミナーレ神学校

    第5日目(5/12)は、朝からパムッカレに移動、ヒエラポリス-パムッカレを観光後
    ローマ遺跡エフェソスに移動、そのあとイズミールに移動して宿泊。


この辺りの川でで岩塩が取れるそうで、
これは塩田みたいです。トゥズ湖という
塩の湖もこの辺りにあるらしい。
 
パムッカレの石灰棚が車窓から見えてきました。



  ヒエラポリス・パムッカレ 世界遺産:ヒエラポリス-パムッカレ
 ヒエラポリス遺跡の写真3枚 ヒエラポリス遺跡はパムッカレの石灰華段丘の一番上にある遺跡。ローマ帝国の温泉保養地として栄えた。

 パムッカレ パムッカレとは、トルコ語で「綿の宮殿」という意味。綿とあるのは昔からこのあたりが良質の綿花の一大生産地であることによる。


これはパノラマではなくて、広角写真の上下をトリミング

二酸化炭素を含む弱酸性の雨水が台地を作っている石灰岩中に浸透し、炭酸カルシウムを溶かした地下水となる。その地下水が地熱で温められ
て地表に湧き出て温泉となり、その温水中から炭酸カルシウム(石灰)が沈殿して、純白の棚田のような景観を作り出したものである。 棚田の
畦の部分は、流れてきた植物片などがひっかかり、これに石灰分が沈着して次第に堤のように成長する。これは温水が畦を越流する時に石灰分
の沈積が化学的に加速するためでもある。このような景観が約200mの高さにわたって形成されている。規模はずっと小さいが、同種の微地形
が鍾乳洞内にもみられることがあり、これを畦石池という。・・・出典:フリー百科事典ウィキペディア


15mm(35mm換算24mm)×3枚パノラマ写真


15mm(35mm換算24mm)×2枚パノラマ写真






この2枚もヒエラポリス遺跡

遺跡の中で泳げる!!

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